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zoom RSS 『「伝える」ことと「伝わる」こと』 中井久夫

<<   作成日時 : 2013/02/07 00:00   >>

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冷静とぬくもり。

4部構成。主としてT部では統合失調症治療について、U部では絵画療法について、V部では心身の健康について、W部では書くことについての文章を収録する。コレクションの3巻もそうだったが、本書の収録内容もバラエティに富んでいる。初出は1970年代から2011年までと幅広いが大半は1980年代。

専門的な文章が多くを占める4冊を続けて読む動機として(著者の流麗にして平明な文章によるところも大きいが)、「精神病という断面を見ることによって精神についての認識が深まる」のではないかという期待があった。けれども濃密な内容を医学知識のない素人が一度読んだ程度で「認識が深まった」などといえるはずもない。著者の示す症例から覗き見た人間の精神の諸相には慄然とするばかりで、だから謙虚さを忘れず、教えを乞う気持で文字を追っていた。投薬の分量についてなどの専門的な部分は読み飛ばしている。結局のところ管理人が読みとってきたのは、認識云々よりも、著者の、病いに苦しむ人たちへのいたわりの眼差しや職業人としての誠実さだった(「治療という大仕事をしている者は尊敬されていい」という文章が著者の姿勢をよく表している)。

ある程度まとめて著作を読むと書いた人の特徴のようなものがざっと掴める。管理人は著者の特徴として熱狂から距離を置いた冷静さを見る。著者の思考は地に足のついた現実的なものであり、しみじみとした感動を得ることはあっても、心が熱くなり興奮するというようなことはない。その冷静さは、医師という常に生の現実に直面する職業に就いていること、戦時中に少年期を過ごしたこと、愛読するポール・ヴァレリーの批評性などが関係・影響しているだろうか(ユングについて述べた文章からデモーニッシュなもの、神秘主義的なものへの冷淡さが窺える)。この冷静さに感銘を受ける。倣いたいと思う。煽るような言説や独断的な文章は読む人にアピールしやすい。しかし、わかりやすい特異さを売りにして注目を集めるような文章には、多分にパフォーマンス的なところがありはしないか。受けやすい言説は警戒しないと踊らされる危険がある。ただの踊りならばまだいい、もしかすると他者を傷つける剣の舞いに巻き込まれるかもしれない。読む者を熱狂・陶酔させる文章(たとえばニーチェ)を読んだあとに著者の冷静さと余裕にふれると、鎮静作用が得られていい。

この冷静さとぬくもりが同居している点こそ著者の魅力であるように思う。自身について「こちこちの科学主義者ではない」と述べている。病室をお祓いすることがあるし、患者に薬を渡すときには「効きますように」とおまじないを一言添える。漢方に否定的ではない。そういう部分に思考の柔軟性を見る。連結部分にもたせる余裕を「あそび」というが、著者の思考にはそれがある。思うに熱狂とは思考の硬直化であり、想像力の不足であり、余裕の欠如ではなかったか。

著者が言葉に対して敏感で繊細な感覚をもっていることはすでに指摘されているとおりだ。先生は「センセ」または「センセイ」、「赤ん坊」は「あかんぼう」、獣医には「さん」をつけて表記される。患者へ「宣告する」というのは医師の驕りであって「伝える」と考えるべきではないか、と指摘する。著者の本を読み、その思考のあたたかみにふれられることの喜びを何と表現したらいいのか。大仰に書いては煽るような文章になってしまうのでためらわれる。けれども、そうしたい誘惑にかられるほどの強い喜びではある。

本書の具体的な内容のうち、一部はこれまでの巻と重なるのでよい復習になる(反復は「日々の力」だ)。禁煙について書かれた文章は昨今の健康志向と関連して関心を集めるかもしれない。この章の終わり近くに、「安全を求め、死から遠ざかろうとする行動は真の喜びを与えない」とある。「死回避行動」としての禁煙に注意を促す記述だが、これはそのまま生きかたの問題として捉えてもいいような文言だ。積極的な姿勢で臨んでこそ生の醍醐味はあるのだから。「臨床眼というものは神秘的なものではなく、細部の積み重ねの上に発現するもので、それ自身を求めて祈っても甲斐ないものである」(「統合失調症患者の回復過程と社会復帰について」)、「人間同士のコミュニケーションは、日々の食物や水と同じくらい大事なものである」(「絵画活動」)、「われわれは、癌と知った時から、急に癌患者らしくなる人をあまりにもたくさん見てきていはしないか。それまでは、たとえば頬に赤みがさしている人であったのに……」(「「伝える」ことと「伝わる」こと」)。これら叡智の言葉を噛み締める。著者の文章に魅力を覚える読者には、「私の日本語作法」の章が興味深いだろう。

「中井久夫コレクション」を読もうと思った動機にはまた身内の発症があった。実用性を求める気持で読みはじめた。そうして得たのは、素人が生半可な知識で病いに向かうのは危険だという当然すぎる認識だった。人間の精神はあまりにも繊細に、あまりにも脆く作られている。専門知識と修練なしに立ち向かえるなどと考えるのは病いと医学の軽視であり、それは人間を侮ることに繋がるだろう。著者は絵画療法についての文章で、自身の療法を長年理論化せずにきたのは濫用されるのを恐れてのことである、と書いたあとこう続けている。「家族にやってみることもすすめられない。医学の用具で危ないのはメスだけではない」。実践するためではなく、雑学の種ではさらになく、生きるうえでの補助輪として用いる、そういう知識が(非力な管理人の及ぶ限りにおいて)得られたことがこの選集の効用だった。


4480093648中井久夫コレクション 「伝える」ことと「伝わる」こと (ちくま学芸文庫)
中井 久夫
筑摩書房 2012-02-08

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