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zoom RSS 『個人的な体験』 大江健三郎

<<   作成日時 : 2013/03/21 00:00   >>

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新生。

鳥(バード)は27歳の予備校教師。近く出産予定の妻は入院している。もうすぐ父親になる彼にはひそかな願望があった。アフリカへ行くこと。小説は彼が書店でアフリカの地図を購入する場面からはじまる。彼は妻と、もうすぐ生まれる子どもへの情愛をもてずにいる。状況を確認するために病院へかける電話は義務的だ。やがて妻は予定通り出産する。産まれた男の子の頭部には障害があった。困惑する鳥。彼は義母と共謀して、妻に障害の件を伏せたまま別の病院へわが子を移す。育てていく気はなかった。生まれて早々に死を願った。

何もかも忘れたい鳥は大学の同級生火見子の家を訪ねる。火見子は夫に自殺された過去をもつ性的に奔放な女だ。鳥と火見子は滅茶苦茶に酔っ払ったあとで性交する。酔って出勤したのが露見し(授業中に嘔吐する場面は笑いを誘う)、予備校を解雇される。そのあいだ、死を願った息子はすくすくと成長していく。担当医と図って栄養不良になるよう仕向けても、まるで父親の卑劣な願いを嘲笑するように息子はぴんぴんしている。頭部の手術を受けてはどうか、そう提案する医師を鳥は頑なに退ける。

火見子との性交に溺れる日々を送るも息子の心配が鳥の頭から去らない。とうとう彼は息子を堕胎医の手に委ねて殺めようと決意する。しかしできなかった。医院までは辿り着いたものの、いざとなってみると不意に「殺されようとしているのがかれの赤ん坊ではなく、かれ自身のように」感じられる。このとき、鳥は父親の責任を自ら引き受けたのだ。自分で手をくだして殺すしかない、そうまで思い詰めもした鳥の、「父親であること」からの逃避行はようやく終わる。鳥は医師の勧めに従って息子を手術し、手術は無事成功し、小説の終わりでは、すでに一回り成長したような逞しい鳥が妻に抱かれた赤ん坊の顔をそっと覗き込んでいる。もうアフリカ行に未練はない。彼にはそれよりも優先してせねばならないことが見つかったから。

モラトリアムから脱しきっていない男が困難に直面して一度は逃げるも、最後には自身――そして家族の――運命を受け入れるまでの成長物語として読んだ。読んでいる最中は葛藤なしに赤ん坊の死をひたすら願う鳥のエゴイズムに嫌悪を感じ続けていた。確かに楽観できる状況ではない、けれどもこんなにもたやすく人は絶望してしまうものであるのか。著者は急ぐように物語を展開させる。鳥はもう少し葛藤していいのではないか。妻や義母とのあいだにもう少しやりとりがあってもいいのではないか。やや粗い印象が拭えない。ヒロイン火見子の造形も通俗的で物足りない。夫を亡くした悲しみを背負っているがそれを見せず、熟練の性技で鳥をリードする――陳腐で不潔なヒロインだ。思わせぶりに登場する火見子の恋人? の少年も機能していない。

鳥がアフリカに憧憬を抱いていたのは現実逃避だろう。彼はそこで「自分を験してみたいと希って」いたのだが具体的に何をするつもりだったのか、漠然としている。自分探しめいたものか。彼の妻はいうだろう、「あなたはわたしのことも、赤んぼうのことも、本気になって考えたことはないのじゃない? 鳥。あなたが本気になって考えているのは、自分自身についてだけなのじゃない?」と。自己に没頭して周囲が見えていない、地に足がついていない鳥の「子どもっぽさ」がもどかしい。自分の周りをよく見ろ、困難は鳥一人が感じているのでは決してない、と叱咤したくなる。なぜ、妻の気持を忖度できないのか。事実、彼は火見子に、自分だけが不幸だと思っているのだろう、といわれてはっとする。誰もが悲しみを抱えながら、それでも懸命に生きている。それに気づけないのが鳥の若さ――といっても27歳なのだが――なのか。

鳥と赤ん坊がどうなるかはエピローグのようにして述べられる。父はようやく運命を受け入れ、息子を自分の分身として受け入れる。この部分に関しては賛否両論あったと著者は巻末で述べているが、管理人は賛成する者だ。冒頭とエピローグとの対比によって鳥の成長を示す手法――当時の著者がどうしても書きたかったという――によって本書の結末は希望を感じさせる。予定調和すぎる気がしなくもないが、結末はこうあってほしかったので安堵した。


4101126100個人的な体験 (新潮文庫 お 9-10)
大江 健三郎
新潮社 1981-02

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