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zoom RSS 『母アンナの子連れ従軍記』 ブレヒト

<<   作成日時 : 2013/04/18 00:00   >>

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度胸アンナとその子どもたち。

17世紀、旧教と新教が争う凄惨な30年戦争まっただなかのスウェーデン。幌車を引き、軍隊に随行して戦場を転々としながら抜け目なく儲けを狙うのはドイツの女商人アンナ。彼女に同行するのはそれぞれ父親が異なる三人の子どもたち。アンナは兵士たちから「度胸アンナ」とあだ名される。彼女に言わせると、ドイツの人口が1800万人から700万人に激減したとも言われる30年戦争当時の困難な状況を生き抜くために、否応なく度胸をもたねばならなかった。アンナは戦乱の西欧を遍歴する過程で大切な三人の子どもをみな失ってしまう。つまりは戦争を嫌悪していながらその戦争に便乗して生計を立ててきたアンナが、利用してきたつもりの戦争に報復された図になる。劇は一人生き残ったアンナが、それでも懲りずに幌車を引いて軍隊の後を追う場面で終わる。

ベルトルト・ブレヒトが本作を書き上げたのは世界大戦が勃発する1939年、ナチスの手が迫ったデンマークを去ってスウェーデンに亡命していた時期だった。スウェーデン人女優の朗読で聞いた女酒保商人の物語に刺激されて執筆を開始、タイトルはグリンメルスハウゼンの小説から取った。戦線が日増しに拡大していく最中に17世紀の戦争を題材にした理由について訳者は、30年戦争は「近代の起点」であり、「近代の終点」である世界大戦時から過去を検証する意図があった、と述べている。主人公アンナはしたたかで逞しい人物として造形されている。彼女は聖戦という美名のもとで行われているのが、実際には支配者たちの権力闘争に過ぎないことを見抜いている。見抜いて嫌悪していながら生きる手段としてこれを利用し、自身はうまく立ち回っているつもりでいる。劇の最後でそんな彼女を待っていたのはしかし、商売の成功ではなく子どもたち3人の死だった。死の原因となったのは彼らの美徳で、長男は勇敢なために戦死し、次男は正直なために戦死し、長女は人助けをしたため敵兵に殺される。美徳が不幸を招くという皮肉さ。作中でこんな歌が歌われる。
すべての美徳がこの世において危険だということは、この歌の証明いたすごとくであります。そんなもの持たぬほうが、楽しい生活にも、朝飯にもありつけます。


何やら教訓めかしているが、果たして本当にそうか。ブレヒトは劇場を日常から切り離された空間とするのに異議を唱えた劇作家だった。彼は、観劇は日常で不満を抱えた人が現実では得られないカタルシスを得るための機会ではないと主張した。現実から逃避させてくれるカタルシスを求めて観劇するのではなく、満たされない現実ならばそれを変革するための教育的な装置としての演劇を目指し、現実にはたらきかける芸術に価値を置いた(彼はリルケやゲオルゲを嫌い、トーマス・マンをブルジョワの文学と批判した)。ゆえに予定調和をあえて乱すような結末を用意するなどして観客に参加(=考えること)を求めた(異化効果)。人物たちに感情移入するのではなく、彼らの言動を批判的に観るよう求めた。「ブレヒト演劇は観客に思考を強いる」と岩淵達治氏は端的に述べている(『人と思想 ブレヒト』)。「ブレヒトによれば知識欲とは食欲や性欲と同じく人間の楽しみのひとつなのだ」。ただシートに座って目の前で展開するドラマを受動的に眺めるのではなく、能動的に読み解くこと。ブレヒト演劇では各場面のまえに梗概によって場の内容が予告されているが、これも、あらかじめ内容を知ってもらって批判的に観劇してほしいという意図に基づいている(次々場面が変わるのはブレヒトが叙事的演劇を目指したため)。だからブレヒトを読む(観る)際には、懐疑を持ち続ける必要がある。本作でアンナのしたたかな知恵は一見正当であるように思えるけれども、そもそものはじめから商売気をもたず、戦争と関わらずにいれば、あるいは子どもたちを失わずに済んだのかもしれない。上で引用した美徳批判の歌もまた一見それらしく思えるけれども(劇中では正当かもしれないが)本当に正しいか。生きるうえで美徳が不要だとしたら、そんな社会をわれわれはよい社会だと言えるかどうか。

とはいえ読み終えてみると以上のような批判意識云々を置き去りにしてしまうほどに、本作が暴く戦争の残虐さ、凄惨さが堪えた。社会の底辺で必死に生きるようなアンナとその子どもたちを、暴力の嵐は容赦なく襲う。生き抜くためには長男の死体を見ても平静を装って他人のふりをせねばならない。子どもたちは彼らが備えた美徳のために死んでいく。何がなんでも生き抜くこと――それを第一に優先してきたアンナが、終盤では徒労を感じずにはいられない。厭戦の気配が、やがて厭世の気分へと変じる。
アンナ (手紙を読んで)ラム、私も車引いてあちこち回るのには、疲れちまった。なんだか肉屋の犬みたいな気がしてきてね。お客に肉を運んでも、自分は何一つ貰えない。もう売る物もなし、皆、買う金もなし。ザクセンじゃ、ボロを着た男が両手広げたほどもある羊皮紙の巻物を卵二つで押しつけようとするし、ヴュルテンベルクじゃ、ひと袋の塩の代わりに鋤を置いていこうとする。鋤がなんの役に立つ? もうなんにも育ちゃしない、あるのは藪の草ばっかり。ボンメルンじゃ、村の衆がちっちゃい子供をみんなで食べちまったそうよ。略奪のときは、尼さんまで見境いなしだって。
料理人 世も末だな。
アンナ ときどき、この車で地獄を這いずり回って、禍売ってるような気になるのよ。天をかけめぐって、迷える魂に聖餐を授けてるような気分にもなる。大砲の弾丸の飛んで来ないところがみつかるんなら、生き残った子供たちと一緒に、しばらく静かに暮らしたいわ。


好意を抱いていた料理人と別れ、娘と二人きりになって、アンナは新規蒔き直しを願うように「私ら二人でやっていこう。冬だってなんだって、いつかはまた過ぎて行く」と言う。その直後に娘が殺され、一人ぼっちになったアンナは、結局経験から学ばず、進軍していく兵たちについていくとはすでに述べた(ブレヒトは、観客は学ばない作中人物から学ぶことができる、と述べている)。「奥のほうから」流れてくる歌とともに本作は幕を下ろす。
運も不運もひっくるめ
戦争はどうやら続くらしい
たとえ百年続こうと
下々の奴らにゃ得はない
食う物はゴミ、着る物はボロ
給金の半分は連隊長がちょろまかす
それでも奇跡が起こるやも知れぬ
遠征はまだまだ終わっちゃいない
    春が来る。キリスト教徒よ、目を覚ませ
    雪が溶けるよ。死者は安らぐ
    いまだに死ねない連中は
    いまこそ急いで出陣だ


「いまだに死ねない連中は/いまこそ急いで出陣だ」の歌詞に背筋が冷たくなる。ユーモラスな調子を含んでもあるようだが、このユーモアはとても笑えない、地獄から響く哄笑ではないか。長くない分量ながら、読んでいる最中、読み終えたあと、見たくないものを見せられた、という暗い気分を拭えなかった。体調が悪いときにはとてもではないが読めないだろう。


4334751881母アンナの子連れ従軍記 (光文社古典新訳文庫)
ベルトルト ブレヒト Bertolt Brecht
光文社 2009-08-06

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人口に膾炙しているのは原題に忠実なこのタイトルか。
4003243935肝っ玉おっ母とその子どもたち (岩波文庫)
オイゲン・ベルトルト ブレヒト Bertolt Brecht
岩波書店 2004-04-16

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本記事を書くにあたりこちらを参考にした。ブレヒトの生涯や作品論がコンパクトにまとめられている。
4389410644ブレヒト (センチュリーブックス 人と思想 64)
岩淵 達治
清水書院 2000

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