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zoom RSS 『審判』 カフカ

<<   作成日時 : 2013/05/02 00:00   >>

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あるいは「訴訟」。

30歳の誕生日の朝、銀行の支配人ヨーゼフ・Kは身に何の覚えもないまま逮捕され、無実を訴えるも空しく、31歳の誕生日の前日に町外れで処刑される。

幾度めかの再読。本作は『変身』と並んでおそらくはもっとも多くの読者を得ただろうカフカの代表作であるが、同時期に書かれた『失踪者』同様、最終的には未完のまま放棄された。ただし、カフカは最初に冒頭と結末部分を書いておいたため一応は完結した物語のように読むこともできる。

この小説については多くの解釈がされてきた。ある朝突然逮捕される主人公の運命は世界の不条理の象徴である、謎めいた巨大な権力機構である裁判所を前にした個人の無力と抵抗を示している、等の解釈はよく知られているし、実際そのように読める。しかしカフカは自作を常に自身の生の記録文書として書いた作家だった。執筆時、彼がいかなる境遇にいたのか探ることは作品の読解に無意味ではない。

本作の執筆開始は1914年の夏で、カフカは31歳だった。2度のプロポーズの果てに婚約を解消したフェリーツェ・バウアーとの別離の直後になる。ベルリンのホテルに関係者数人が集まって開かれたこの別れの場を、カフカ自身は「ホテル内の法廷」と日記に記している。婚約とその解消が反復されたのちに別れる男女関係とは風変りで、この出来事の背景には、「書く」ことに憑かれた人カフカの葛藤があったものと考えられる。彼にとって書くことは人生のすべてだった。そのためには通常、人が享受しうる人生の喜びの多くを放棄することを覚悟していた。しかし同時に彼は、結婚し、子どもをもつということに人生の最大の意義を認める人でもあった。坂内正氏は、カフカが戦いという比喩を好んで用いる点を『カフカ解読』(新潮選書)で指摘しているが、まさしく彼の人生は闘争だっただろう。実直なサラリーマンとしての昼と、書く人としての夜との戦い。フェリーツェとの婚約解消はカフカが夜の自分を優先したことを意味する。では、その当時書かれた本作に著者のこの決意はどう反映しているのか。

何の罪でかわからないが逮捕されるヨーゼフ・K。最初の審理は日曜日に行われるという。半官半民の会社に勤めていたカフカにとって日曜日は休日であり、すなわち「書く」ことにあてられる日、あるいは「内面と向き合う日」を意味している。本作をカフカの「書く」ことと実人生の対立、葛藤を投影した作品と考えると、非現実的な法廷とは著者自身の内面世界の象徴と見える。逮捕される覚えなどないとヨーゼフ・Kは主張する。実際、彼の罪状は作品内で遂に明らかにされない。おそらくカフカ自身も主人公の罪状に興味がなかっただろう。カフカはヨーゼフ・Kに託して自身の罪の意識を作品化することに眼目を置いて本作を書いた。ヨーゼフ・Kには罪の自覚はなかったが著者カフカにはあった。「書く」こと。彼はものを書かずにはいられない人間だったのに、周囲はそれを理解せず、とくに勤勉一徹の父親とはこの営為をめぐって確執が生じていた。「書く」ことがカフカ自身に幸福をもたらしているとは――本人にも周囲にも――とうてい思えない。けれども、報われなくても彼はよせなかった。ひそかな矜持もあっただろう。謙虚な人柄ゆえおおっぴらにこそしなかったものの自恃するところがなければ公表の意図もなく生涯に亘って書き続けることができたはずがない。作中に、罪は被告を美しくする、という一文がある。ヨーゼフ・K=カフカにとっての罪とは「書く」ことだった。この一文にどれほどの思いがこめられていたかことか。

裁判はヨーゼフ・Kに不利に展開しながらゆっくりと進行していく。そもそも訴えられた時点で彼の有罪は確定していたのだった。はじめは半ば侮る気持で裁判に向かっていたヨーゼフ・Kが、時の経過につれて次第に多くの労力を向けるようになっていくと本業の銀行での立場が怪しくなっていく。30歳の若さで支配人とは優秀な人間だったのだろうが、いまでは対抗勢力の頭取代理に押されている。「銀行に勤めながらどうやって実行しろというのだ」、「訴訟に全力をつくすと、ほかのことに余力をさくわけにいきません」、「銀行内の対面を保つの汲々としている今日このごろなのだ」――やがて裁判に関することがヨーゼフ・Kの意識と時間の大半を占めるようになっていく。それは罪の自覚のない主人公と、罪の意識を抱える著者とが次第に同化していく過程でもある。カフカ自身は『審判』執筆の前年になる1913年に、5年前に臨時職員として採用されたボヘミア王国プラハ労働者災害保険局で書記補になっている。昼と夜に裂かれる生活が徐々に苦しくなりつつあったころではないかと想像する。ゆえに終盤に置かれた「掟の門」の挿話は本作のクライマックスにふさわしい。

教誨師が下りてくれば、まとまる話もありそうだし、またことによると、重要かつ受け入れることのできる助言がもらえるかもしれないのだ。それは訴訟に役立つといったことではなく、それを突破し、やりすごし、訴訟の外で生きる方法を示すものであるだろう。そんなふうな生き方があるはずだ。


大聖堂で交わされる問題はヨーゼフ・Kではなく著者自身の問題であるだろう。「そんなふうな生き方」を求めていたのはカフカその人だったはずだ。

ヨーゼフ・Kの裁判とはすなわち「書く人」カフカへの裁きであり、そこでは「書く」ことの反社会性が問題にされている――すべて自分の文学はドキュメントであると明言していたこの作家の生と重ねるとそのように解釈するのが適当なように思える。カフカは自身を裁かれるべき人間と考えていたし、(本作の主人公のように)心臓にナイフを突き立てられる死を想像する被虐的な傾向をもっていた。ヨーゼフ・Kには裁判の勝ち目はなく、実際には一時的な自由を得るか、死ぬまで「引きずっていく」しかないと彼の弁護士はいうだろう。この苦い認識は、「書く」ことと実人生とのあいだで板挟みになっていた著者カフカの決意表明、あるいは諦念であっただろう。

とはいえ、カフカの凄みとは多様な読み方を誘うところにあるのだから、読者がそれぞれこうと思うように読み、問い、考えればいいのだろう。正しい読みなどなく、あるのは恣意的な読みだけだ、ということをカフカ文学はよく教えてくれる。

文書の伝えるところは変わらないが、意見はしばしば、それについての絶望の表れにとどまるもの。



4560071543審判―カフカ・コレクション (白水uブックス)
フランツ カフカ Franz Kafka
白水社 2006-05

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複雑怪奇な裁判所への書類申請手続きが述べられるくだりはカフカが文学において無限を創出した箇所だと指摘したのはボルヘスだった。権力機構と被告との関係は、永遠に隔てられたヘブライの神と人間の関係を想起させる、と坂内氏は述べている。
4106004712カフカ解読 (新潮選書)
坂内 正
新潮社 1995-01

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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
大学でスーザン・ソンタグの本を読んでいて、それについてネットサーフィンしていたらepiさんのこのブログに辿り着きました。
長い間ブログを続けられていて、すごいと思います。これからゆっくりと新しいポストから古いポストまで読んでいきたいと思います^^楽しみです!

2013/05/06 16:59

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