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zoom RSS 『オン・ザ・ロード』 ジャック・ケルアック

<<   作成日時 : 2013/06/05 00:00   >>

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さらば青春の光。

1947年から1950年にかけて、語り手はアメリカ各地を放浪する。徒歩で、ヒッチハイクで、バスで、鉄道で、自動車で。彼を路上へと誘うのは親友のディーン・モリアーティだ。ディーンは「半端仕事と女の子と楽しいこと」を求めて車で国中をまわっている精力的な若者で、彼の野性味や無垢が語り手を魅了する。目的なんてない。ただ、ここではないどこかへ行きたいと激しく希求する気持が彼らを旅へと駆り立てる。旅の路上はまた人生の幸福を探す旅にもなっているだろうか。旅先で語り手は、同じような放浪者や女の子と親しくなったりもするけれど、結局は別れることになる。幸福の幻影は刹那で破れ、また新たなそれを求めて路上へと踏み出す。しかし時は永遠ではなく、いつしか夢見る頃は過ぎて、放浪の生活にも終止符が打たれる。

本作は著者の実体験がもとになっている。登場する人物にはすべてモデルが実在する(バロウズやギンズバーグら所謂ビート世代の若者たち)。ストーリーのない小説、と訳者があとがきで評しているとおり、全編を貫く筋はない。紀行文でもないので旅先の地誌的な記録にもなっていない。語り手は作中で四度の旅に出ているが、アメリカの地理に疎い読者としてはそれぞれの旅がごっちゃにもなる。やっていることも殆ど同じで、自動車を滅茶苦茶に走らせて大陸を渡り、アルコールと煙草とマリファナとジャズが恍惚を誘い、女の子と仲良くなって乱痴気騒ぎに耽る、その繰り返しなので、筋を追うだけの読書では途中で飽きがくるだろう(管理人は旧訳『路上』を挫折している)。本作の魅力はトーンにある。訳者は長詩のよう、と述べる。全篇に漲る若さゆえの元気。著者はジャズの即興演奏に倣い、言葉を瞬時に捉えて文章をタイプしていったというが、その「速度」が作中の若者たちの、いてもたってもいられない、どこでもいいからとにかく遠くへ行きたい、という矢も楯もたまらぬ焦燥感とよくマッチして、読者を高揚、酩酊させる効果を生んでいる。

それにしても読んでいて今更ながらアメリカ大陸の途方もない広さには驚かされる。デンヴァーからシカゴまで約1900キロ、語り手たちの乗る自動車が平均時速70マイル(113キロ)で17時間かけて横断した、などという文章を読むと目眩すら覚える。広大な土地とさまざまな価値観の人々が暮らす大国ならではか、読んでいて不思議な明るさ、希望のようなものを感じていた――狭い土地で暮らしていてはなかなか持ちにくいだろう底なしの希望、元気のようなものを。メキシコまでは3000キロもの旅になる。それを自動車を運転して行くというのだから、これを元気といわずに何といえばいいのか。

移動するのは土地だけではない。時もまた移りゆく。抜群の記憶力をもっていた著者は、自らの旅を想起し、10年をかけて本作を執筆した(3か月で書かれたというのは伝説であるとのこと)。過去の旅の日々を懐かしむ心が、失われた青春時代を惜しませるのか、ところどころで述懐される語り手の心情はときに切なさをかきたてる。

ああ、ぼくの愛しい女はどこにいる?


彼女のバスに乗りたかった。心臓が痛くなってきた。気に入った子がこの広すぎる世界で別方向に行くのを見るといつもそうなるのだ。


ニューヨークやニューオーリンズでみんなそうだったのだが。だれもが不安そうに巨大な空の下に立っていて、まわりのものに呑みこまれていく。どこへ行く? なにしに? なんのために?


道(ロード)こそ命、そう語り手は述べる。その道を行く旅はメキシコでクライマックスを迎える。文明の世界から原初の世界への移動。ディーンはメキシコの人々の昔ながらの暮らしぶりを讃嘆するが、そこには隠蔽された権力意識を感じないでもない。もっとも、彼は「退屈な知識人」ではないと語り手は断っているので、彼の言動の裏を探っても詮無いのかもしれないが。メキシコは何やら約束の土地であるかのような描かれかたをしていて(「道の果ての魔法の地」)、このあたりに、後に本作がカウンターカルチャーの聖書として扱われるようになる素地が顕著に表れているようにも思える。

人は誰でもいつかは若者だが、いつまでもそうではいられない。やがて自由と放埓の日々は終わる。最後にはディーンと語り手の別れがある。寂しい別れが。まさしく旅の終わりのように寂しい。けれどもまた、いつか必ず終わってしまう日々だからこそ、その瞬間ごとに一度きりの輝きが宿っているようにも思える(終わり近くでさりげなく言及されるプルーストはそのことを暗示しているのだろう)。

「いつの日か、おまえとおれは夜明けによろよろとそこらの路地にさまよいこんでゴミの缶をのぞくことになるんだよ」
「最後は老いぼれの浮浪者になるってことか?」
「かもな。なりたきゃ、もちろんなれる、そういうことだ。そういう終わり方も悪くないよ。政治家とか金持ちといった他人どもがなにを望もうが、そんなのとは関わりなしで一生生きる。だれも邪魔しない、すいすいと自分の道(ウェイ)を進めるぞ」同感だった。やつはもっとも単純明快な形でやつなりのタオに行き着こうとしていた。「おい、おまえの道(ロード)はなんだい? 聖人の道か、狂人の道か、虹の道か、グッピーの道か、どんな道でもあるぞ。どんなことをしていようがだれにでもどこへでも行ける道はある。さあ、どこでどうする?」


何もかも放り出してあてのない旅に出たくなる、もう若者ではないのに。

4309463347オン・ザ・ロード (河出文庫)
ジャック・ケルアック 青山 南
河出書房新社 2010-06-04

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