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zoom RSS 『砂の女』 安部公房

<<   作成日時 : 2013/06/13 00:00   >>

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囚われの男。

昭和30年の夏。どこか海沿いの集落に、昆虫採集を目的にした一人の男が現れる。彼は、砂地にこそ、自分が求める新種のハンミョウがいると考えてこの集落にやって来たのだった。しかし成果は挙がらず、やがて日が暮れる。男は地元の老人に声をかける。どこか泊まれるところはないか。誰かに口をきいてやってもいい、老人はそう言い、男を案内する。そこは砂の穴のなかに埋もれるようにして建っている古ぼけた民家だった。壁は剥げ落ち、襖の代わりにムシロがかかり、柱は歪み、畳が腐りかけたこの家には30くらいの女が一人で暮らしていて、話を聞くと、台風の被害で夫と娘を亡くしたのだという。一晩だけ我慢するつもりで眠りにつき、翌朝目を覚ました男が家の外に出てみると、昨夜、地上から穴の下へと降りてくるのに使った縄梯子が上から外されている。20メートルはあろうかという砂の絶壁を前に、呆然と立ち尽くす男。どういうつもりかと女を問い詰めると、この朽ちかけた貧乏村は放っておいたら砂に埋もれて死に絶えてしまうから、砂掻きをしなくてはいけない、しかし何分女の細腕では荷が重い。そこへ都合よく男が外からやって来た。あなたはここで自分と暮らして砂掻きをしてほしい。真相を知った男はあらゆる手段を用いて、砂の穴からの脱出を試みる。

おそらくは10年以上ぶりの再読。安部公房の小説はいくつか読んでみたが、最後まで読み通せたのは本作だけだったように記憶している。やがては砂に埋もれてしまう寂れた村。そこへ、ひらひら飛ぶハンミョウに誘われて罠にかかる鼠のように、騙され、囚われてしまった男。村人たちはただ今日を生き延びることしか考えておらず、その一員である女の心にも潤いはなく、男とのやりとりはちぐはぐで、かみ合わない(穴の外へ出たくならないのか、と問う男に、女は、外に出て何をするのか、と問い返す)。砂の穴での生活は単調な労働の反復だった。砂が湿って崩れにくくなる夜に、スコップで砂を掻き出し、それを地上の村人たちが下ろすモッコに乗せて外へ捨てる。過酷な肉体労働でもあって、昼のあいだ女は泥のように眠る。寝ているあいだにも、壁から崩れ、零れる砂が身体に積もっていく。口のなかはざらつき、衣服の襞に入り込む。しかも夏のこと。汗ばむ身体に砂が張り付く。身体を洗おうにも、水は地上から村人たちが補給してくれなければたちまち尽きてしまう。ただ生存のためだけにある生。「心臓の鼓動だけが生存のすべてではない」。男はなんとしてもここから逃れようとする。逃れようとしていながら、いつか汗と砂にまみれて女を抱いている。

一度は脱出に成功するも、道に迷い、再び囚われの身となる。自分を捨てて出て行ったのに、ぶざまにも捕まり再び戻ってきた男を、女は優しさがこもったような暗い目で迎える。常に火の見櫓から双眼鏡で監視され、水を握られた奴隷のごとき日常がまた繰り返される。逃れられないのか、希望はないのか。かつて、自由に生きていた頃がいまでは夢か幻だったように思える。果てしなく遠い世界の出来事のように思える。会社の同僚たちや、交際していた女はいまどうしているだろう(なぜか、彼は肉親に思いを馳せない)。
「納得がいかなかったんだ……まあいずれ、人生なんて、納得ずくで行くものじゃないだろうが……しかし、あの生活や、この生活があって、向うの方が、ちょっぴりましに見えたりする……このまま暮らしていって、それで何うなるんだと思うのが、一番たまらないんだな……その生活だろうと、そんなこと、分かりっこないに決っているんだけどね……(略)」

かつても、男は不満の多い、無味乾燥の日々を生きていた。しかし自由だった。いまは選択の余地がない。生存のために全力を尽くして砂と戦うことを強いられている。この生活には希望がない。そういえば教師をしていたときも希望があったわけではなかったのだが。希望は生徒たちに語るものであって、自分で夢見るものではなかった。けれどもいまは、心底から希望を欲している。希望なくして人は生きていけないのだということを悟る。

幻想的なストーリーながら荒唐無稽な与太話と思えないのは、細部への拘りが現実性を獲得しているからだろうか。砂の壁が崩れや、穴の底の暑さ、息苦しさの描写は生々しい。多用される比喩は読者によっては気になるかもしれない。短い物語ながら多くのモチーフを含んだ豊かな小説であると思う。自由の問題、監禁状態における人間心理の推移、戯画化された日本的ムラ社会の閉鎖性、そうしたモチーフが読解へと読者を誘う、あたかも、ハンミョウが獲物を誘うようにして。管理人がとくに面白く感じたのは、村の詐欺紛いの商売を女の口から聞かされて憤る男に向かって、「かまいやしないじゃないですか、そんな、他人のことなんか、どうだって!」と女が昂然と言い放つ場面で、ここでは、それまで男にとって加害者と思われていた村の側が、「外の社会」では被害者であり、村の外からやってきた男も、被害者でありながら同時に加害者でもあるという、価値の反転が示される。被害者か加害者か、見方次第で立場は変わる。すべて関係とは相対的なものなのだ。


410112115X砂の女 (新潮文庫)
安部 公房
新潮社 2003-03

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