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zoom RSS 『反哲学入門』 木田元

<<   作成日時 : 2013/07/18 00:00   >>

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哲学から反哲学へ。

著者はまえがきで、「哲学というのは西洋という文化圏に特有の不自然なものの考え方だ」と述べる。哲学と呼ばれるものの考え方は、西洋以外の国には見当たらない。この独特なものの考え方である哲学を批判し、乗り越えようとする試みを著者は「反哲学」と呼ぶ。この語には、19世紀に登場したニーチェによって始められ、のちハイデガーに引き継がれる、哲学の反省、解体という意味がこめられている。

哲学とはそもそもどういうものの考え方であるのか。著者はこう定義する。「存在するものの全体(自然)、あるいは「ある」ということがどういうことかについて、超自然的原理を設定、参照しながら問うて答える特殊な思考方法」だと。いわば現実世界とは別の高次の世界を創造し、両者を対置する思考様式。これは西洋という文化圏にのみ生まれた特殊な考え方だった。なぜか。自分たちが、存在するものの全体のうちにいながら、その全体を見渡すことのできる特別な位置に立つことができると思わなければ成り立たない考え方であり、たとえば自然にすっぽり包まれて生きていると信じ切っていた日本人からは生まれようもないものの考え方だからだ。存在(自然)とは、自ら生成していくものである。哲学はこれを原理に照らして分析しようとする。そうすることで、自然は生きたものから、制作のための無機的な材料、質量、すなわち単なる物質になってしまう。世界を測る超越的原理は、「イデア」、「純粋形相」、「神」、「理性」などさまざまに変わるが、どれも反自然的で不自然なものの考え方にしかならない。著者は「哲学なんかと関係のない、健康な人生を送る方がいいですね」といい、哲学を「不幸な病気」だと否定的に捉えている。著者によると哲学することによって、人は、自然に生きたり考えたりすることを阻害されるのだという(このあたりの文章は韜晦的ではある)。

けれども西洋において哲学ははじめから反自然的な考え方をしていたのではない。ソクラテス以前のギリシャ哲学者たち――タレスにはじまり、続くアナクシマンドロスやヘラクレイトスたち――は自然こそ存在のすべてと考え、万物は自然だと見ていた。転回はソクラテスの弟子プラトンによってもたらされる。

この世界は仮象の世界であり、人間が感じている現実世界とは永遠の世界(イデア界)の似姿に過ぎない、プラトンはそう説いた。「ある」と思えるもの(目に見える現実世界)は本当にはなく、「ない」としか思えないもの(イデア界)があるとされる発想の逆転。彼は世界を、「目に見える世界」と「純粋な世界」に二分してしまった(哲学史的にはピュタゴラス派の神秘主義も継承しているとされる)。そして、「魂の目」にしか見えない真の存在に近づくことを目指して生きることこそが正しい生き方である、と考えた。プラトンはアテナイの名門の出で、政治の世界に関わりが深く、常に現実社会の堕落を嘆く理想主義的な人物だった。20代の終わりに、43歳年の離れた師・ソクラテスを失う。死刑後、師の言行を後世に伝えるため『弁明』をはじめとする初期対話篇を書くが、この時点ではイデアの思想はなかった。その後、エジプトやアフリカ、イタリアやシシリー島などを巡る世界旅行に出かけ(正確な旅行先は不明)、この旅の最中にユダヤ教やピュタゴラス教団と接触して、その体験が自然を超越したイデア論という神秘めいた特殊な考え方を生む苗床になったのではないかと推測されている。ソクラテスの死によってプラトンは現実の政治に絶望した。祖国アテナイを正義の国に変革しようと志した彼にとって、イデア論は存在論であると同時に実践的政治哲学の意味もあったのかもしれない。よりよき国家を建設するための(彼は晩年に政治に関わって失敗する)。

プラトンの弟子アリストテレスはイオニア的と呼ばれるギリシャの伝統が濃く残る土地で育った。彼はイデア論を「異国的」だとして違和感を抱き、師の哲学を修正しようとした。しかし彼もまた、超自然的原理イデアを批判しながらも、「純粋形相」(または「神」)という別の超自然的原理を設定して世界を解明しようと試み、結果的に師と同じ道を辿ることになる。

プラトン哲学はこの後、東方やエジプトの神秘思想と結びついて新プラトン主義に改造され、これを下敷きにしてアウグスティヌスはキリスト教最初の教義を組織する。アリストテレスの哲学はイスラム圏で研究され、のちイタリアへ輸入されると、トマス・アクィナスによって新しいキリスト教教義の下敷きになる。このように中世においてギリシャ哲学はキリスト教と結びついて西洋思想の根幹となる。キリスト教における「神の国」と「地の国」という世界の二分法は、イデア界と現実世界というプラトン哲学と瓜二つといっていい。現実を理想目指して発展していくものと捉えたアリストテレスの「純粋形相」哲学は、世俗の権力闘争に関わりつつあった当時の教会の正当性を証明するのに都合がよかったという現実的な理由もあった。プラトン主義とアリストテレス主義はキリスト教会内において覇権を繰り返しつつ、哲学は修道院内で純粋培養されて中世期が過ぎていく。

哲学史で次に登場するのはデカルトだ。彼の「われ思う、ゆえにわれあり」は近代自我の創建だといわれるが、果たして本当にそうか。彼のいう「理性」とは、通常われわれが用いる意味での理性とは少し異なっていると著者は指摘する。われわれが理性というとき――「理性的に話し合おうよ」などというとき――、それは認知能力の一部を指しているに過ぎない。しかしデカルトの唱える理性とは、「神が人間に与えた認識能力」、つまり人間に自然に備わったものではなく、「神の理性の出張所」のようなものだという(このあたりからキリスト教に疎い人間としては徐々についていくのが辛くなってくる)。だから彼は理性に個人差はない、などという。当然だろう、人間生来のものではなく神の出張所だというのなら。そして人間を精神と身体に二分し、前者こそ人間の実体であり、その理由を「神の理性の出張所」であるから、とするような思想が果たして本当に近代的自我なのか。われわれは近代的自我を、もっと自由で、もっと自立したものだと考えてはいないだろうか。

その後、人間の認識能力の限界を慎重に考察したカントと、世界史を人間の発展への道程と見たヘーゲルの時代を経て、西洋世界にニーチェが登場する。それまで哲学とは超自然的な原理を設定して、それによって自然を見る(測る)ような思考形式だった。しかしニーチェの登場によって様相は一変する。彼はソクラテス以前(プラトン以前)の古代ギリシャに注目し、自然が万物と同義であった時代に準拠して、プラトン以降連綿と続いてきた超自然的原理の設定――すなわち哲学――を、すべて不自然なものとして断罪する。自然とはおのずから生成・発展するものである。彼はこの自然観を、古代ギリシャのディオニュソス崇拝と重ね、「力への意志」という哲学に結実させる。自然も力も意志も、より大きくなろう、強くなろうとする。自然、生のダイナミックな力の構造を、ニーチェはこの「力への意志」という奇妙な哲学で捉えようとした。彼はまた、「神は死んだ」と述べ、ニヒリズムの徹底を説いた。プラトン以来続いてきた、ありもしない超越的原理はもはや無価値である。それを嘆き悲しむのではなく、積極的に認め、否定の意志をもつこと。彼の唱えた「超人」「永遠回帰」等の思想は、それまでの西洋世界の価値観を転倒させる試みだった。ゆえに彼以降の哲学を、著者は「反哲学」――哲学の反省、あるいは解体――と呼び、それ以前の哲学と区別する。彼の反哲学的な思考はハイデガーをはじめ後世に大きな影響を与えることになる。

ソクラテス、プラトンの紀元前からはじまり、ハイデガーの20世紀までの哲学史の概観。西洋哲学に関する本はこれまで幾冊か読んではきたけれども、ニーチェを除けばどうしても馴染めずにいたのだが、超自然的原理や一神教の世界創造説などの西洋文化の伝統は、管理人のようなごく一般的な日本人にとっては明らかに異質なものであって、それが腑に落ちなくても当然なのだと思えたのはよかった。存在を問う、ということ自体、結局は思考=言語のゲームに過ぎないではないかという気もしないでもない(哲学は社会生活ではなんの役にも立たない、とまで著者は述べるがそれは言い過ぎな気がする)。著者の特徴なのか、異様と思える思想の数々が、各時代ごとの政治的な事情から成立していったと見る現実的な視点は、高尚と思われがちな哲学が、実際には生々しい人間の営みのひとつなのだと示して愉快だった。中世以後の哲学史はニーチェを除けば殆ど関心がもてず、自分は哲学と縁遠い人間だということもよくわかった。


4101320810反哲学入門 (新潮文庫)
木田 元
新潮社 2010-05-28

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