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zoom RSS 『反哲学史』 木田元

<<   作成日時 : 2013/07/25 00:00   >>

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思想の変遷。

著者が提示する「反哲学」とは、哲学の解体、反省という意味がある。反哲学を粗描したのは19世紀のニーチェであり、ハイデガーがこれを継承する。では哲学とは一体何であるのか。哲学とはどの文化圏にも、どの時代にもある普遍的な知の様式ではない。哲学とは西欧世界に独特な思考様式である。「インド哲学」「中国哲学」と呼ばれる思考様式もあるが、これらはもともとは西洋人が、自分たちの地域以外にも、自分たちのとよく似た思考様式があると知って便宜的に付けた名称に過ぎない。著者は哲学について、「西欧中華思想の所産にほかならない」とまで述べている。

ギリシャ語の哲学(フィロソフィー)という語には「知を愛する」という意味がある。この語は、ピュタゴラスやヘロドトスの時代には「知的好奇心が強い」程度を指した。その後ソクラテスが登場して程度が変わる。彼にとって知を愛するとは、エロース的な意味、たとえば男が女を愛するのと同じ意味を持っていた。そして愛する者はその対象を所有しようと望む。所有しようとするということは、彼は未だ知をわがものにしていないということ、すなわち無知であるということであり、これを「無知の知」といった。彼はこの無知の知を戦術的に用いてソフィストたちを次々に論破し、その論法を、当時のギリシャ人たちは「エイローネイアー(アイロニー)」と呼んだ。彼のこのアイロニーは奇妙な武器だった。彼は――プラトンの初期対話篇などで――多くの論客と特定の命題について議論するが、いつも決まって答えは出ないまま終わる。ソクラテスは対話者を無知の知でどこまでも否定し続け、その結果、議論された命題は無と化してしまう(無限否定)。まるで、答えを得るためというよりすべてを無に帰そうとするかのような否定の徹底。ヘーゲルやキルケゴールは、ソクラテスのこの無限否定性に時代の転換点を見ている。古代ギリシャの古き時代は、世界を「現実世界」と「イデア界」に二分化するプラトンによって終わりを告げる。師であるソクラテスの役目は、弟子がもたらす新時代のために舞台を浄めることだった、と。

表向きの理由とは別の、隠された政治的な理由から師ソクラテスを失ったプラトンは、彼の汚名をそそぐ目的で初期対話篇を書き始める(初期対話篇にはプラトン思想の反映や創作の要素は薄く、記録文書としての価値が高いとされる)。彼は中年になってから諸国を旅し、その過程で一神教のユダヤ教やピュタゴラス教団と接触し、目に見える現実世界の背後にある永遠の世界(ニーチェにいわせると仮象の世界)――イデア界――を想像するようになる。われわれの魂はかつて天上の世界にあり、そこでイデア(ものの原型)を見ていたのが、汚れのために地上に追放され、忘却の河(レテ)を渡り、肉体という檻に閉じ込められてしまったのだ、と。われわれはただ想起によってのみ真の認識を得ることができる。世界の二分化。ギリシャ的な伝統の残る土地で育ったアリストテレスが「異国風」と評したこの思想は、プラトンのなかのいかなる要請から生まれたのか。当時のアテナイはギリシャ世界の盟主だった昔日の栄光を失いつつあり、ポリスは民主政治が衆愚政治へと堕していく過程にあった(ソクラテスはその犠牲になった)。故国を再建せねばならぬ――政治的な理想主義者のプラトンにはそういう強い思いがあった。国とは人であり、人が自己を形成することで国もまた理想に近づくだろう――プラトンのイデア論は、彼の実際的な必要から生じたものだと著者は見る。

アテナイの民主政治はソクラテスを死刑に処した。師のこの運命のうちに、プラトンはアテナイの政治の腐敗を見た。しかし、政治のこの腐敗は国家の体制を変革することのみによっては、癒されえない。それは、二一世紀の私たちが依然として現に見ていることだ。この腐敗は、国家の実質である市民各自の精神の浄化によってしか、癒されえないのである。

岩田靖夫 『ヨーロッパ思想入門』


師の思想を「異国風」と批判しながらも継承することになるアリストテレス。プラトンは国も人も、すべて存在は理想を目指して形成されるべきだと説いた。そうして現実世界と背後世界を対置させた。プラトンがイデアに照準を合わせて現実を見たように、アリストテレスは「純粋形相」によって現実を見ようとする。存在のなかには可能性があり、それを発揮して現実化することが存在の目的であると説いた(自己実現が人間にとっての幸福であるとする現代的な価値観と通じるところがある)。二人ともが、自然をただあるがままに見ようとはせず、自然は特定の原理によって規定され、形成、構造化されるためにあるとした。「形而上学的思考とは、自然に背を向け、自然から離脱していくことをよしとする思考様式だということになりましょう」。自然、現実、存在は二分され、二重の目で測られるようになる。この特異な思考様式こそが哲学であり、こんな不自然なものの見方は西欧世界以外には存在しない。プラトンとアリストテレスの哲学は、その後初期キリスト教の教義に関わって、いよいよ西欧を支配していくことになる。

中世期のスコラ哲学を経て、17世紀にデカルトが登場する。彼は決して疑いえない人間の自我――思うわれ――を見出した。カントは人間の認識能力(理性)を分析して、その限界を規定する。続くヘーゲルは人間精神の自由と完成へ至る歴史を説く。ヘーゲルによって近代哲学は完成し、彼以後、哲学は「技術として猛威を振るう」(ハイデガー)ようになる。後期シェリングやマルクスによるヘーゲル批判、そしてニーチェの登場。古典文献学者としてキャリアをスタートさせた彼は、プラトン以降西欧世界を支配してきた不自然な思考様式の「哲学」を断固否定する。自然とはイデアや神や理性などといった原理によって認識されたときにのみ存在するのであり、それ自体は非存在である。あるいは、自然は原理に服従し、それにのっとって形成されるべき素材(マテリアル)に過ぎない――西欧文化はこうした形而上学にもとづき、いわば自然から離脱する方向で形成されてきた。しかし、「そうした形而上学的原理とは、言ってみれば人間の願望の外に投射されたものでしかなく、本当に存在するわけのものではありませんから、ヨーロッパ文化は実は無へ向かって形成されてきたことになります」。原理に告ぐ原理の発明とその徒労――これが、ニーチェが「神の死」と呼んだ西欧の頽廃、西欧のニヒリズムだった。

ニーチェは、自然とは生成するものであるというソクラテス以前の哲学者たちの思想に立ち戻り、原理の発明ではなく、あるがままの自然だけが唯一の実在であり、そこから存在の意味を汲み出す新しい存在論の必要性を強く感じ、「力への意志」という思想を発明する。生きるということはたえずより強く、より大きく生長し続ける運動である。そして力とは、生の発現形態の一つであり、意志もまた然り。「力への意志」にはダーウィンの進化論の影響もあるとされる。「<これこれのものはこうであると私は信ずる>という価値評価が<真理>の本質にほかならない。……それゆえ、何ものかが真なりと思いこまれざるをえないということは必然的ではあるが、これは、何ものかが真であるということではない」。伝統的な超越的価値(原理)が生を規定し束縛し隷従させている――ニーチェはこういって哲学の解体を試み、その企図は彼に続く20世紀以後の哲学者たちに継承されていくことになる。

著者の本は『反哲学入門』に続いて2冊目になる。内容は重複する部分が多い(ゆえに本記事も『入門』の記事と重複している)。話題が飛躍しがちでやや散漫だった『入門』よりも本書のほうが明快に書かれている。ソクラテス、プラトン、アリストテレス、デカルト、カント、ヘーゲル、ニーチェといった本邦でも親しまれている哲学者たちに関しては、彼らの思想はもちろんのこと、生涯についても簡潔に述べられているのがいい。先に本書を読んでいるのなら『入門』は読まなくてもいいと思う。管理人にとって西欧哲学が面白いのは古代ギリシャから中世期までで、厳密さが増していくデカルト以後の哲学には殆ど関心がもてない(ニーチェは別格だが、彼はその過激さのわりに日本人に分かりやすい哲学者ではないだろうか)。タレスやパルメニデスなど古代の、ソクラテス以前の哲学者たちから、ソクラテス、プラトン、アリストテレスを経て、中世期のアウグスティヌスあたりまでは、西欧哲学といいながら汎世界的な部分があるように思えるのに(ストア哲学などは時代・国境を越えて生きるための哲学となりうるのではないか)、近世以後はローカル化していっているようにも見える。著者は、本書の冒頭で、西洋文化形成のイデオロギーである哲学を日本で学ぶことの――滑稽さとまではいわぬものの――奇妙さを感じていた、と吐露している。この感覚は分からなくもない。

哲学史はほかに今道友信氏、熊野純彦氏のものも読んだ。前者は講義をもとにしており口語文で読みやすいが、中世以後はかなり駆け足なので表層的で物足りない。後者はときにエッセイを思わせる文学的な叙述が魅力で、ソクラテス以前の哲学者たちについても詳述しているけれども、何も知らずに最初の1冊目として読むと少々手ごわい。平明かつコンパクトに書かれ、高名な哲学者のみを扱っている本書がもっとも分かりやすく、かつ楽しく読めた。哲学史のさわりを本書で知り、さらに知りたくなったなら広げていけばいい。木田氏の哲学史の特徴は、非常に現実的、常識的、世俗的であることだろう。『現代の哲学』は本書の続篇。


4061594249反哲学史 (講談社学術文庫)
木田 元
講談社 2000-04-10

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4061587870西洋哲学史 (講談社学術文庫)
今道 友信
講談社 1987-04-28

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4004310075西洋哲学史―古代から中世へ (岩波新書)
熊野 純彦
岩波書店 2006-04-20

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