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zoom RSS 『ヴァルザーの詩と小品』 飯吉光夫編訳

<<   作成日時 : 2013/10/11 00:00   >>

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恍惚と不安。

再読。ローベルト・ヴァルザーの詩と散文小品を、彼の兄カールの挿絵付きで紹介する。

ヴァルザーの小説にも登場する兄カール・ヴァルザーとはいかなる人物だったか。彼はローベルトより1年早く、1877年にスイスのビール市に生まれた。年が近いせいもあってローベルトにとってもっとも近しいきょうだいだった。シュトゥットガルトやミュンヘンで室内装飾の修行を積んだあと、1899年からベルリンに住み、数年のうちに画家・舞台美術家として輝かしい成功を収める。1902年に、ローベルトがスイスで日雇い仕事をしながら執筆していた頃、兄は「神々の寵児」と呼ばれ、ベルリンの絢爛たる芸術サロンに出入りして華やかな生活を送っていた。1903年には舞台美術家として大成功を収め、観客が演劇の始まるまえから舞台装飾に対して拍手喝采を送るほどだったという。カールは新進気鋭の舞台美術家として、毎夜劇場で著名な舞台関係者や女優たちとともに過ごしていた(1909年に発表されるローベルトの長篇小説「ヤーコプ・フォン・グンテン」にはこの頃の兄が登場する)。このほかに劇場や歌劇場や市庁舎などの壁画制作にも携わっている。同時期に出版されたローベルトの最初の本、『フリッツ・コハーの作文集』が一度は頓挫しながらもライプツィヒの出版社から刊行できたのも、ベルリンで活躍する高名な芸術家のカールが表紙と挿絵に参加してくれたおかげだった(『タンナー兄弟姉妹』および『助手』の表紙絵を描いたのも彼)。生涯変わらずヴァルザーに好意と賞賛を寄せたヘルマン・ヘッセがヴァルザーを知るきっかけになったのがこの『作文集』で、彼はその出会いについて、「私は当時、それが感じよく独特な外観だったために買い求めた」と述べている。兄カールの存在は、その後ヴァルザーのベルリン芸術界への登場を可能にし、彼の本の刊行を実現するのに大きな役割を担うことになる

カールの絵はビアズレーやハリー・クラークを連想させる作風で、耽美的で、華やかな色使いが幻想的な情緒を醸す。艶かしく、同時に儚げでもある。ゴッホや歌川広重、葛飾北斎の影響も強いと訳者は指摘している。カールは1908年に来日しており、自作や日本から持ち帰った浮世絵の展覧会を帰国後にドイツで催しているという。「京都の祇園寺の祭り」が白黒ながら本書に掲載されている。第一次大戦によって出版事情が悪くなるとベルリンからスイスへ戻り、そこにアトリエを構え、いくつもの展覧会に出品しながら、個人住宅や公共的建造物の壁画を制作し、1943年に66歳で亡くなった。この頃、すでにローベルトは執筆を放棄し、スイスの精神病院に入院している(1956年12月の朝に、病院近くの雪山で倒れている彼が発見されるだろう)。

本書に収録された詩は、長篇『助手』と同じく1908年に刊行された処女詩集『詩篇』の全訳。「のらくらもの」が登場する詩がいくつかあって、いかにもヴァルザーらしい。
「ああ、面倒くさい、このままにしておけ」。

「どうしてまた?」


「時間は時間、時間が眠りに就くときも、
健気な人間であるぼくは、もととかわらぬ場所にいる。」

「落書き」

怠惰への志向はここではないどこかへの憧憬と結びついている。

月は夜空にぱっくりとひらいた傷口。
星は、点々と散らばる血のしずく。
ぼくだって花咲く幸福とは言わぬまでも、
多少の幸福には恵まれていいはず。
月は夜空にぱっくりとひらいた傷口。

「事務所で」


憧憬は測り知れないので、
決して忘れられない。

「幻滅」


後年の精神的破綻を予告するような、鋭敏な神経ゆえの内省や気分の落ち込み、世間と折り合えない孤独など内面的な詩が目立つ。光やうららかな午後の詩もあるけれど、冬や雪などの寂しげな詩が多いのも特徴的だろうか。「雪」という詩は大地一面が降雪によって白く覆われていく情景をうたった静謐なもので、詩篇中もっとも好ましい。ヴァルザーの散文小品にこの詩と似た内容の「雪が降る」というのがあって、こちらは管理人がこれまで読んできたヴァルザー作品(『作品集』の1〜4巻、および飯吉光夫氏編訳になる2冊)のなかで最良のテクストと思っている。

ヴァルザー文学の特徴を乱暴に要約してしまえば「怠惰への賛歌」である、といえるだろうか。ただし彼の怠惰への志向は、意志されたものというよりは生まれ持った性質による必然、宿命的なもののように思われる。いつの時代、どこの国にも、本人が望むと望まないとに関わらず、その社会の常識やルールから逸れてしまうような人間はいるもので、ヴァルザーもそういう一人だったのだろう。彼は職を転々としながら居場所を求めるようなのらくらものの一生を送った。悲しいのらくらものの一生を。

ぼくの人生の浮き沈みは
なんと奇妙なものだろう。
せっかく自分に手招きしてくれるものがあっても、
いつもぼくは自分がそこから抜け出て、
漂い出すのを見る。

ぼくは自分が哄笑に、
深い悲嘆に、
やたらお喋り好きな人間になりかわっているのを見る、――
こんなものはすべていずれは沈みこんでしまう。

どんな時もぼくは、
おそらく一度として適切にふるまったことがないのだ。
ぼくは忘れられた遠い場所を
歩むべく定められている。

「哲学的すぎる」


ヴァルザー自身にいわせれば、「芸術家というものは、およそ子どもがそうであるように、すばらしいとしか言いようのない、高貴な怠け癖への生まれつきの傾向をもっている」ということになるようだ。

「小品」の部については、いくつか『作品集』の4巻と重なる部分があるので、複数の翻訳でヴァルザーを読めるという幸いに恵まれる。ブレンターノ、レーナウ、ヘルダーリンといった精神の闇に囚われた詩人たちを扱うとき、ヴァルザーの筆は冴え渡る。ヴァルザーのテクストの特徴を「放心したような恍惚感」と評したのは種村季弘だったが(クライスト『チリの地震』訳者解説)、痴呆への傾向を示すような、不安と恍惚に満ちた危うさは、本書には病者のような人物をスケッチした小品によく表れている。テクストはどうしても、書いた人間を暴いてしまう怖ろしさがある。「二つの世界」という小品は「劇場火災」と通じる、クライスト的なパトスでカタストロフを述べるもので、穏やかで危うい幸福感だけがヴァルザーでないことを改めて教えてくれる。恋愛譚が多く収録されているのも新鮮だ。

本書収録の小品中、白眉は「ソナタ」だろうか。わずか3頁のなかに、ソナタにこもる快い憂鬱と哀愁への愛を惜しみなく述べながら、生きてあることの悲しみや辛さの克服を目指し、殆ど宗教的な恍惚へと浄化する。ヴァルザーのロマンチックな面が凝縮された感もある。
哀しみと歓びは抱擁し接吻しあう恋人同士のようなものである。快楽と苦痛はかたみに愛しあう兄弟のようなものである。愛らしく明るい歓喜は花嫁であり、その心にしのびこむ苦痛は花婿である。愉悦と幻滅とは切り離すことができない。


「小さき作家」、ローベルト・ヴァルザーのよき入門書だろう。管理人にとってそうだった。スーザン・ソンタグは彼をこう評している。
ローベルト・ヴァルザーは散文によるパウル・クレーだ。クレー同様に繊細で神経質だ。彼はまた心やさしいベケットだ、さらにはカフカとクライストの間のミッシング・リンクだ。


4622080427ヴァルザーの詩と小品 (大人の本棚)
ローベルト・ヴァルザー 飯吉 光夫
みすず書房 2003-10

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カール・ヴァルザーの生涯についてはこちらも参照した。
4862654061ローベルト・ヴァルザー作品集3: 長編小説と散文集
ローベルト・ヴァルザー 若林 恵
鳥影社 2013-05-31

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
「怠惰への讃歌」
「芸術家というものは高貴な怠け癖の…
「僕はおそらく一度も適切に…
ヘッセも好いていたと聞いて、この未知の詩人に強く惹かれます。
Bianca
URL
2013/10/14 17:02
>Biancaさん

作品集は大きい本屋さんでないと置いてないかもしれません。
epi
2013/10/15 19:55

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