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zoom RSS 『ヒュペーリオン』 ヘルダーリン

<<   作成日時 : 2013/11/07 00:00   >>

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生の勝利。

新訳で再読。18世紀末のギリシア。ティーナに生まれた青年ヒュペーリオンは、よき師、よき友とめぐり会うが、その両方をわけあって失う。傷心の彼を癒してくれたのはカラウレアの乙女ディオティーマだった。美の理想を体現しているような彼女をヒュペーリオンは崇拝に近い心で愛し、彼女もまた彼の希望に応じる。ちょうどその頃露土戦争が勃発、当時オスマン帝国支配下にあったギリシアにロシア艦隊が侵攻してくると、これに乗じて、祖国解放を求める民族主義者たちが決起する。かつての友もそのうちの一人だった。ヒュペーリオンは友の誘いに応じ、ディオティーマと離れて戦いに身を投じる。この戦いは祖国に自由をもたらすためのいわば聖戦だったが、膠着状態が続くうちに率いた部隊の心は荒み、彼らは暴徒と化して略奪を始める。結果戦争に敗北、ヒュペーリオンは人間の愚劣さ、醜悪さを目の当たりにして打ちひしがれる。祖国解放の理想は挫けた。失意から一旦は自棄になるが、奇跡的に一命を取りとめ、友の必死の介抱によって立ち直り、ディオティーマのもとへ帰ることを決意する、彼女と人生をやり直すために。けれども時すでに遅く、帰国間際の彼のもとに届いた一通の手紙は愛する女の死を知らせる。運命に翻弄され、理想も愛も友情も何もかも失くして、ヒュペーリオンは最終的に祖国ギリシアに帰って隠者になる。さまざまな体験を経て彼が得た認識は、
いっさいとひとつであること、これこそは神の生、これこそは人間の天だ。

という汎神論的なものだった。彼の味わった苦難が彼にそれを悟らせた。

詩人ヘルダーリンの世界を規定する体験として、フランス革命、古代ギリシア、ズゼッテ・ゴンタルトの三つを訳者は挙げる。1788年にテュービンゲンの神学校に入学したヘルダーリンは、翌年フランスで勃発した革命の報を、ほかの学生たち同様熱狂的に迎え入れた。自由、平等、博愛の理念を実現するための決起への憧憬。革命記念日には「自由の樹」を囲んで、同期のヘーゲル、後輩のシェリングらとともに踊り狂ったというエピソードが伝わっている。18世紀末のドイツは神聖ローマ帝国を名乗ってはいたが、その内実は大小300の領邦からなる中心不在の「寄り合い所帯的集合国家」であり、30年戦争による荒廃をひきずって、政治的・社会的・経済的に後進性を露呈していた。この国の若者たちが、革命の狼煙を上げた先進国フランスの動向を興奮しながら窺っていただろうことは想像に難くない。一方で古代ギリシアは、人間の自由と美を実現させた理想世界として、ヘルダーリンにとって終生憧憬の対象であり続けた。とくに美のモチーフは重要で、本作では至高の理想として称揚されることになる。そしてズゼッテ・ゴンタルト。彼女はヘルダーリンが子供たちの家庭教師として雇われた家の夫人で、教養の深い芸術の愛好家だった。彼女はヘルダーリンにとって理想的な女性であり、やがてディオティーマ(プラトンの『饗宴』に登場する巫女)の名を与えられ、ヘルダーリンのなかで現実の彼女を超越して、至高善、至高美の象徴的存在となっていく。事情により離れ離れになったのちも二人の交流は2年ほど続き(文通と月1度の逢瀬)、結ばれなかったものの、互いを労わり慰め励まし合った。以上、三つの体験が本作にはすべて織り込まれてある。フランス革命への情熱はギリシア解放戦争への参加として、古代ギリシアへの憧憬は作中のヒュペーリオンの芸術論および文化論として、そしてズゼッテ・ゴンタルトは乙女ディオティーマとして。

青年の成長物語、所謂教養小説である本作の主題は調和への志向だろう。ヒュペーリオンがするのは分裂や対立を引き起こすような体験だが、喜びも悲しみも苦しみも最終的に肯定されて「一にして全」の調和へと昇華される。季節が移ろうように人間の命も移ろい、草木と同じように再生する。人間もまた大いなる自然の一部なのだ。どうして花のように、枯れまた芽吹き咲き実ることがないだろうか。作中で開陳される汎神論的世界観は日本人には馴染みやすいものだろう(ヘルダーリン研究の泰斗手塚富雄もヘルダーリンと東洋思想との親近性を指摘している)。この、苦い体験の果てにヒュペーリオンが得る悟りには、恋人ディオティーマの思想が影響を与えている。やがて死ぬ彼女は死の床にあって死を微塵も恐れていない。なぜか。死とは自然の懐に帰ることだと彼女は知っているから。生命はみな愛によって結ばれており、現世を離れても、その絆は決してほどけはしないことを知っているから。以下、本作の白眉である彼女の手紙――遺書――から引用すると、
自分たちのみすぼらしいつくり物しか知らず、必要にだけ仕えて守護神をさげすんで、子供のような自然の生(いのち)よ、あなたを敬わないかわいそうな人たちは、死を恐れることでしょう。自分を束縛するものが、その人たちの世界になってしまっています。そういう人たちは奴僕の奉仕にまさるものを知りません。ですから、死がわたしたちにあたえてくれる自由を恐れるのではないでしょうか。

わたしたちが別れるのは、いっそう親密にひとつになるためにほかなりません。すべてのものと、わたしたち自身といっそう神々しく平和に結ばれるためにほかなりません。わたしたちは生きるために死ぬのです。

星は恒久ということを選びました。星は静かな生(いのち)に満たされて絶えず動き、老いることを知りません。わたしたちは交替のなかで完全なものを表現します。わたしたちはよろこびの偉大な諧音を移り変わる旋律へと移し変えます。長老たちの玉座を取り巻く竪琴弾きのように、わたしたちは世界の静かな神々を取りかこんでみずからも神々しく生き、束の間の生(いのち)の歌で太陽の神や他の神々の至福の厳しさをやわらげるのです。
その世界を仰ぎ見てください。その世界は、自然があらゆる腐敗にたいする永遠の勝利を祝う凱旋行進に似ていないでしょうか。そして、その栄光を讃えるために、生(いのち)は死を黄金の鎖につないで引きつれてゆくのではないでしょうか。


夜のあとにはまた朝が来る。冬のあとにはまた春が来る。そのことの確かさ。生のリズム、何が確かかといってこれほど確かなものはない。万物は移りゆく、そして回帰する。その真っ只中に、必ず交替する場所にわれわれの命は置かれてある。交替の確かさを、われわれは信じ、自らがその一部であることを忘れずに生きるべきではないのか。自然の善き意志に委ねながら、自らも意志するのを放棄することなしに、たとえば今日涙を流したのなら明日は微笑むことができるよう力を尽くして生きるべきではないのか。ヘルダーリンは1巻の序文で、本書の思想内容を気にする人は本書を理解したとはいえないと述べている。思想の部分だけでなく、抒情的な記述も味わって欲しいという詩人の願いだろうか。「わたしの花のかおりだけをかぐ人は、その花を知る人ではない。それを摘んで、ただ学ぼうとする人もまた、それを知る人ではない。/ある人物における不協和音の解決は、たんなる思索のためにあるのでも空疎な楽しみのためにあるのでもない」。思索でも(知的な)楽しみでもなく、それは生きかたの問題として提示されていたのだった。
おお魂よ、魂よ、世界の美よ、永遠の若さで魅惑する美よ。あなたは存在している。いったい死がなんだろう。そして人間の悲しみがなんだろう。――ああ、これほど多くの空疎なことばは気まぐれ者たちがつくり出したものでしかない。いっさいは悦びから生まれるではないか。いっさいは平和のうちに終わるではないか。
世界の不協和音は愛しあう者たちのいさかいに似ている。和解は争いのさなかにあり、別れていたものはすべてまためぐりあう。
血管は心臓で分かれ、ふたたび心臓にもどる。すべては、ひとつの灼熱した生(いのち)なのだ


情熱的に理想を追求し続ける主人公の姿と、一切を肯定する思想の崇高さは、読者の胸をきっと熱くするだろう。魂に火を点けよ、人みな火の祭司たれ。別れや挫折の悲しみに満ちた物語なのに暗さを感じさせないのは、回想形式で書かれているためすでに平静を得た隠者ヒュペーリオンを冒頭で読者が知っているからか。それともそうした悲しみすらも、成長の糧としうる若さの喜びが充溢しているからか。ヒロインのモデルとなったズゼッテ・ゴンタルトは本作が刊行された3年後に病いのため33歳の若さで亡くなる。同じ頃、ヘルダーリンは彼を生涯苦しめる精神の病いに囚われる。「知りうることは少なく、喜びは多く、死すべき人間にあたえられたり」。そんな彼の言葉が残っている。


448042721Xヒュペーリオン ギリシアの隠者 (ちくま文庫)
ヘルダーリン 青木 誠之
筑摩書房 2010-07-07

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