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zoom RSS 『ゲオルク・ビューヒナー全集』 ビューヒナー

<<   作成日時 : 2013/12/12 00:00   >>

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科学者の文学。

ビューヒナーが短い生涯のうちで著した文学作品4作のほか、政治的文書、詩やエッセーや学校時代の作文、書簡、自然科学論文、関係者によるビューヒナー回想文、小伝を収録する。文学作品に関しては、短篇小説「レンツ」、戯曲「ヴォイツェク」「ダントンの死」の3作を岩波文庫(岩淵達治訳)で読むことができる。残る1作の「レオンスとレーナ」は、親の決めた結婚から逃れた男女が、許婚同士と知らずに出会って恋に落ちるという喜劇で、先に挙げた3作と比較すると――つまらないというほどではないけれど――やや劣る印象を受ける(倦怠のモチーフは「ダントンの死」と共通する)。

ゲオルク・ビューヒナーは1813年、ヘッセン大公国の首都ダルムシュタット近郊のゴッデラウ生まれ。ギムナジウムを経て、フランス領ストラスブール大学医学部に入学。七月革命以後の自由な雰囲気のなかで人権思想の洗礼を受ける。規定によりギーセン大学に転籍後、当地の農民たちが搾取されている現実に衝撃を受け、同志とともに「人権協会」を設立、政治活動に関わるようになる。しかしなかにスパイがいたために直ちに当局の手がまわり、ドイツの田舎町の革命運動はあえなく頓挫、迫る司直の手を逃れるために亡命を決意し、その費用を稼ぐ目的で戯曲「ダントンの死」をわずか5週間ほどで書き上げ、当時著名だった作家グツコウに送って認められる。ストラスブールに亡命後は大学に戻って解剖学を学び、のちチューリヒ大学に動物解剖学講師のポストを得る。就任講演も講義も好評、安定した生活の基盤を築き、翌年には婚約者を迎えるための部屋も借りた。しかしチフスに罹患し、新しく借りた部屋へ移り住むことなく、1837年、23歳という若さで逝去する。

ビューヒナーには文学で身を立てるつもりはなく、あくまで解剖学の余暇に書くというスタンスでいた。管理人は短篇小説「レンツ」および戯曲「ヴォイツェク」で、狂気の問題に肉薄した作家としてのビューヒナーに注目している。岩波文庫版の記事でもふれたが、「レンツ」では、主人公の狂気の発症プロセスが叙述レベルで表現されており、読者に追体験を迫る。「ヴォイツェク」では、主人公の狂気が(戯曲という形式上の必然から)より象徴的に表現される。そのどちらもが人間存在の深淵を覗き見させるようで、戦慄しながらもどうしようもなく惹かれる。

「レンツ」(本書では「狂っていくレンツ」)に関しては先の記事に(現在)書きたいことの大半は書いたように思うので本記事では繰り返さない。再読して、やはりこの短篇の勘所は、主人公の内面の揺らぎが外界に投影されて事物が解体していく冒頭近くの数頁にあることを再確認した。山越えの単独行のさなか脅迫的な不安感に襲われたので、「大地を暖炉のうしろにでも片づけてしまいたかった」という一文などは素晴らしい。山岳地帯の情景描写には、故郷の自然を愛し、まだ山歩きの趣味などなかった時代に、「どの峰も、どの谷も知らぬものはないほど、歩きまわ」った作者の体験がよく活きているのだろう。

「ヴォイツェク」に関しては、主人公のモデルとなった殺人者の経歴が述べられた付録が作品読解に役立つ。実在のヴォイツェクは1780年、ライプチヒ生まれ。父親は移民でろくにドイツ語が話せず非社交的なたちだったという。両親を13歳で亡くし、不完全な学校教育しか受けられなかった彼は、その後鬘屋に弟子入りするが、フランス革命によって需要が減ったので軍人になる。交渉があった女とのあいだに子供が生まれるが結婚できず(この女はヴォイツェク以外の兵卒とも交渉があった)、やがて退役してライプチヒに帰還する。このとき28歳。鬘屋のほか、衣類の仕立てや下男奉公などによってかろうじて成り立つような極貧の生活を送る。仕事がないときには郊外の野原で茫然と過ごしていたという。その後、以前知り合った外科医の未亡人と再会。関係を持つようになるが、「彼女はヴォイツェクの生活を助けるどころか、その肉体と金銭を求めるばかりで、しかもほかにライプツィヒ市の民兵たちとも関係していた」。嫉妬のあまり凶暴になったヴォイツェクは下宿から追い出され、以後浮浪生活を送ることになる。幻覚や幻聴の兆候が現われはじめる。いつも腹を空かし、木賃宿などで盗みをはたらく日々。夫人は別の恋人と別れないままヴォイツェクとの関係を続けている。彼はわずかに残った金でナイフを買う。「刺し殺せ、刺し殺せ」という声が聞こえる。夕方、道で偶然彼女と会ったヴォイツェクは、腹立ちを抑えながら彼女を家まで送り、着くなりすぐに帰れと言われたのに逆上して、ポケットのなかに入っていたナイフで彼女を7回刺して殺害する(夫人を刺し殺したあと、「なにか胸がスッとしたような気持になった」とのちに自供している)。逃げ出して自分も同じナイフで自殺しようとしたが止し、逮捕されると大人しく犯行を認め、裁判では心神喪失の可能性から精神鑑定を受けたのち有罪判決が下され、最後は公開処刑された。獄中でこれまでの人生を回顧し、ずっと神とその永遠の生命を信じて朝晩の祈りを欠かさむずやってきたのに、それが「いったいなんの役に立ったかなあ?」ともらしたことがあった、そう記録は伝えている。

ヴォイツェクによる殺人事件は1821年のこと。当時ビューヒナーは8歳だった。彼が、この事件を題材に戯曲を書くようになるのは15年のちのことになる。「ヴォイツェク」の主人公が狂気から殺人を犯すのも、浮気した相手への嫉妬が原因というのも実際の事件のとおり。ビューヒナーの主人公にとっては、女(内縁の妻)は全世界であり、彼女の裏切りは彼にとって世界の崩壊に等しかった。狂気に加えて貧困の問題も「ヴォイツェク」においては重要なモチーフになっている。実在のヴォイツェク同様、ビューヒナーの主人公も爪に火をともすようにしてその日その日をやっと暮らしている。権力構造において貧者は富者の支配下に置かれる。ヴォイツェクの非力さ(=貧困)に愛想を尽かしたがゆえの女の裏切りだった。すでに述べたように、ビューヒナーは革命のエレメントを貧富の関係に見出している(「毎日スープを飲み、肉や野菜をたらふく食べていられたら、誠実な人間でいることなど、まったくわけないことさ」、「貧富両階級の関係だけが、世の中でたった一つの革命的要素です」――ともに書簡から)。

父親からフランス革命の英雄たちについて聞かされた幼少期の記憶が、逃亡に急ぎながら「ダントンの死」を書いた背景にあるだろう。ダントンやロベスピエールは、ビューヒナー少年には半神のごとく思われた。しかしやがて年を経てフランス革命を振り返ってみれば、権力は王侯貴族からブルジョワに移っただけ、流血の代償に得られたのは「金権貴族主義」であり、貧しき者が踏みつけにされる現実に変わりはなく、ただ踏みつける者が変わっただけだったと確認された。ブルジョワジーのみが勝利し、封建貴族も貧民もすべてを奪いとられる――これが「必然」であり、「歴史の宿命」なのか。ビューヒナーはドイツの革命は不可能だ、との苦い認識に達する。しかし、「二十三歳の若さと、貧しき人びとへの燃えるような愛情と、変革への情熱とは、それにもかかわらず、ビューヒナーに「歴史の宿命」を達観し、諦念することをゆるさな」かった。「必然」を覆すことを行動の原理としながら、彼は早すぎる死を死なねばならないだろう。死の床で婚約者宛てに書かれた手紙にはユーモアが溢れており、彼の強靭な精神を証する。ユーモアとは客観性の問題であり、そこには彼が専攻した医学からの影響を指摘できるかもしれない。「レンツ」も「ヴォイツェク」も、管理人が感心する理由はその狂気の分析力(言語化する力)にある。グツコウもまた、解剖学とテクストの独創性とを関連づけようとした。(「あなたの主要な長所、つまりあなたの世にも珍しい偏見のなさ、あなたの書かれるもの全部にあらわれている、あのほとんど解剖学的実証性とでもいいたいようなところは、この研究からきているとわたしには思えるからです」――グツコウからの書簡)。搾取されている農民たちを覚醒させる目的で書かれた政治文書「ヘッセンの急使」で、ひたすら税金の使用用途を実証的に述べていく手法もまた同じ理由に基づいているのだろう。「民衆に彼らの現状を変える気を起こさせることができるのは、身近かな問題が彼らの眼の前で暴露されるばあいだけ」、これはビューヒナーの信念だった。同志がこの草稿に手を入れて宗教的な比喩や聖書の句を加えて「文学的」に改変したのは、数字の羅列が味気なさすぎると判断したためだったかと推測すると可笑しくもある。要するに彼は徹頭徹尾リアリストだったのだ(「いわゆる理想主義詩人ですが、僕の見るところでは、彼らのつくりあげたものはすっとぼけた空色の鼻とそらぞらしい熱情をもった操り人形にすぎず、とうてい生き身の人間とは思えず、その喜びにも悲しみにも僕は同感できないし、その行動にしても、なんの反感も驚歎も感じさせてくれません」――書簡)。

彼の文学を特徴づけるのはそのリアリズム、その実証性。生(なま)の現実をありのままに表現することが芸術の最高の目標である――専業作家になるつもりはなかったとはいえ、ビューヒナーは自らの信条をレンツの口を借りて短篇小説のなかで表明している。

神さまはこの世をあるべき姿にお創りになったのだろう、だからわれわれはたぶんこれ以上にいいものをでっちあげることはできないだろう。われわれの唯一の努力は、すこしばかり神に倣って創ることだ。自分はすべてのものの中に――生命、存在の可能性を求める。それがあればもういいのだ。われわれはそれ以上、それが美しいか、醜いかを問う必要はない。創造されたものが生命を持っているという感じは、美醜の上に立つものであり、芸術品における唯一の規範である。




4309204635ゲオルク・ビューヒナー全集
ゲオルク・ビューヒナー 手塚 富雄
河出書房新社 2006-05-18

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鳥影社版もある。
4862653170ゲオルク・ビューヒナー全集
ゲオルク ビューヒナー 日本ビューヒナー協会有志
鳥影社ロゴス企画 2011-11-15

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