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zoom RSS 『チャンドス卿の手紙 アンドレアス』 ホフマンスタール

<<   作成日時 : 2013/12/25 00:00   >>

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夢の器。

再読。短篇小説4作と未完の長篇小説「アンドレアス」の完成稿を収録する。このうち「六百七十二夜の物語」「バソンピエール元帥の体験」「アンドレアス」にホフマンスタール文学の特徴が顕著と見る。描かれるのは、夢と現実の境界が消滅して、両者がひとつに溶け合う世界。「現実と夢、生と死、内部と外部、高い世界と低い世界、そういった対立がすべて疑わしくなり、境界線が薄まり、消えかけて行く。その消えかけた境界線の微妙な色合を捉えるのに、ホフマンスタールほど繊細な感性は存在しない」(訳者)。「六百七十二夜の物語」の主人公は裕福な商家に生まれた美青年。彼は俗悪な世間と交渉を断って、自分一人きりの世界――象牙の塔――にひきこもる。しかし外から不吉な手紙が届き、無視することができず、書かれていることの真相を確かめるべく外出する。目的地に到着したものの、当初の目的とは無関係な気まぐれから脇道に逸れ、死へ向かっていく。社会を拒み、一人きりの身勝手な世界に閉じこもろうとする青年の傲慢を罰するかのように運命は罠を仕掛け、世間知らずの若者はうかうかと誘い出された図になる。そばに残した4人の使用人――他者――たち、彼らの視線が死の運命を紡ぐ糸だったのか。決然とした足どりで自身の望むとおりに進んでいるつもりが奈落へと導かれている。執筆時21歳だった作者の、謙虚さと世間への畏怖が込められた象徴譚として読めるだろう。

「バソンピエール元帥の体験」は、ペストが蔓延しつつある冬のパリで出会った男女の物語。元帥が小間物屋の店先に立った女を見初めると、女のほうも元帥に気がある素振りを見せた。手紙を渡し、曖昧宿で落ち合う。夢かそれとも幻か、おぼろな記憶だけを残すような情事のあとで女は言った。こんな場所で会うのは今夜だけにして、次はわたしの知っている家に来てほしい。身を焼くような情欲を堪えて約束の日を待ち、とうとうその日になって指定された家を訪れてみれば室内から男の声がする。女の亭主だろうか。追い出すのに難儀しているのか。暫く時間を置いて再訪してみると、ドアは開いており、中には数人の男と、全裸の男女の死体。消毒のためベッドの藁が焼かれ、炎が死体の影を不気味なほど大きく壁に映している。この短篇は純然たる創作ではなく、17世紀フランスに実在したバソンピエール元帥の回想記の一部をもとにしている。要すれば好色な男の女性遍歴の一挿話に過ぎないものを、ホフマンスタールは死病の蔓延る都市が舞台の、夢ともうつつともつかぬ曖昧な物語に仕上げた。元帥は本当に女と出会い、彼女が差し出した齧りかけの林檎を口にし、縺れ合うように寝台に倒れこんだのだったか。真実は知れない。

そして「アンドレアス」。ウィーンの青年アンドレアスが、見聞を広める目的でヴェネツィアへと旅をする。世間知らずの若者はいい顔をして近づいてきたすれからしの悪党に赤子の手をひねるよりもたやすく騙され、資金の半分を持ち逃げされてしまう。旅の途中、山中の屋敷で美しい娘と出会えば、彼女こそ自分の妻になるべき人だと思い込み、ここで暮らしている自分の姿を夢想する。娘と別れ、目的地ヴェネツィアに到着すると、通りすがりの人に言われるがままに宿に案内されて、そこには新しい出会いが待っている。本書に訳出されている完成稿はわずか100頁ほどの分量。作者が残した覚え書きから、本作が、さまざまな体験を経て成長していく若者を描く「教養小説」が目指されていたと推測されているが、もし完成していたら、過去の失敗から学ぶということがない迂闊なままの――夢見がちな――主人公が一体どのような経過をたどって成長していくことになったのか。ヴェネツィア到着後、主人公は彼を誘惑するような謎めいた女を目撃する。作者の構想ではこの女は二重人格であり、アンドレアスには別々の二人の女としか思えなかった彼女の人格の統合/分裂という主題を絡ませて物語は進展していくはずだったという。主人公の周囲には魅力的な女がすでに3人いる。彼女たちとの交わりが、彼を成長させることになる予定だったのか。山中の屋敷の娘や、彼を騙した悪党との再会が予想されるし、ヴェネツィアの宿では一人の女の所有権をめぐるくじ引きが催されている。これから、というところで物語が終わってしまっているのはあまりに惜しい。

先にも述べたがホフマンスタールの文学を特徴づけるのはその夢幻的な叙述にある。おそらく美の瞬間を捉えようとするとき、彼の叙述は夢へと結晶化する。現実世界の輪郭がぼやけ、色が滲み出す。「アンドレアス」はリアリズム形式で書かれているが、主人公が山中の屋敷の娘と別れる場面にさしかかると途端に叙述は夢の相を帯びはじめる。
いずれにしても、彼女は彼を眺めようとはしなかった。彼も、自分から近づこうとするそぶりすら見せなかった。彼女の口からは言葉がこぼれでようともがいており、目からは涙が今にもあふれでそうだった。われとわが咽喉をくびろうとでもするかのように、たえまなく彼女は細い銀の首飾りを引きしぼり、彼からすっかり心を離してしまっていた。苦痛が思うさま彼女をもてあそんでいて、そのために、身近にアンドレアスがいることすら感じないかのようだった。ついに首飾りは引きちぎれ、切れた片方はゆるやかな肌着の中にすべり落ち、もう片方は手の中に残った。この手に残った半分を、彼女はアンドレアスの手の甲に、上から押しつけた。叫び声をあげたいが叫ぶことはできないとでもいうように、口がひくひくとふるえ、そのまま彼にもたれかかってきたかと思うと、しっとりと濡れたままふるえる口が、彼の口に重ねられ――その刹那、彼女の姿は消えていた。

押しつけられた鎖が手に残されていなければ、白昼夢だったとしてもおかしくはないような別れの場面。アンドレアスがあとになってこの別れを思い出すと、存在する一切には連関があるのだと直観された。調和の啓示。その啓示の瞬間こそが「彼の生涯の最も幸福な瞬間」だった。「現実の側からすればたわいない夢想。しかしその夢想に身をゆだねて幸福を味わう人間にとっては、現実に即した成長や進歩は、およそ何の意味も持たない。そのような人間を主人公にした作品は、「教養小説」としては挫折するにきまっている。だからこそ、この『アンドレアス』序章は、断片として、まれに見る美しい夢の結晶たり得ている」、夢で彩られたこの不思議な「教養小説」を訳者はそう解説している。「ただ夢だけが永遠で美しい。それなのに、なぜあいもかわらず語りつづけているのか」(フェルナンド・ペソア)。
いとも深い心の奥処も夢のそよぎにさらされて
密室の中をさまよう精霊の手のように
夢はぼくらの中に いつまでも生きている

そして三者は一体だ 人 物 夢

「三韻詩」


以上の三篇と並べると「チャンドス卿の手紙」はやや異質に映る。早熟の詩人チャンドス卿――十代の高校生時代から修辞の妙をきわめた絢爛たる作品を発表して、神童の名をほしいままにしたホフマンスタール自身が二重写しになる――は、言語の限界を知覚して沈黙を余儀なくされる。「何にもせよ、首尾一貫させて考えたり口にしたりする能力が、ぼくからは完全に失われてしまったのです」、「ぼくには、高級な、あるいは普遍的な主題について語りながら、誰もが気安くあっさりと用いているある種の言葉を口にするのが、次第に不可能になってきたのです」。彼の目には一切の事象が解体して見え、細分化されたあらゆるものの果てに空無だけがみとめられた。「言葉がぼくを見捨てるのです」。だから筆を折った。言語とは思考の道具でもあるから日常生活にも支障が出る。いまでは精神の活気に欠け、ただ生活が流れ去っていくのに任せている。しかし彼の目は、感性は、いまも外界の美を捉えることをよさない。ある日の夕暮れ、胡桃の木の下に置かれた如雨露が目に入った。きっと農夫が置き忘れていったのだろう。何のことはない日常の風景。しかしチャンドス卿はその如雨露を見た瞬間、「無限なるものの現前をありありと」感じ、「何事か叫びださずにはいられない気持」になる。けれども彼が操ることのできる言語――ラテン語や英語――ではその感動は表現できない。この葛藤こそが彼の身を噛む最大の苦痛だった。邦訳にして20頁程度の分量ながら言語表現の限界を考察するような内容は、書かれたのが20世紀の最初の年だったということもあって、「現代文学の最も深刻な問題性を予感し告知した記念すべきエッセイ」と見る見方もある。「言葉がある限りは続けなくては」、サミュエル・ベケットならばそう書くだろう。ホフマンスタールのチャンドス卿も、言語の限界に直面し、執筆を放棄したとはいえ、失意の虜として終わるわけではない。彼は手紙の最後で、書くため、考えるための手立てとして自分に与えられているらしい言語は、「単語の一つすらぼくには未知の言語ですが、その言葉を用いて物いわぬ事物がぼくに語りかけ、その言葉を用いてぼくはいつの日か墓に横たわる時、ある未知の裁き手の前で申しひらきをすることになるだろうと思うのです」と述べる。自分だけの言葉の希求。しかし管理人が思うにチャンドス卿の抱える問題は言語のというより認識、表現の問題であって、認識を深め、表現を錬ることによってしか乗り越えられないのではないかという気がする。胡桃の木の下に置き去られた如雨露が醸す「言葉にならない」情緒。この「言葉にならない」を言葉にすることができたとき――マルセル・プルーストが『失われた時を求めて』でしたことのひとつがそれだった(マルタンヴィルの鐘塔をめぐる挿話)――チャンドス卿の失語、無気力は克服されるのではないだろうか。

無限の円環よ
ただひたすらに
引いて行け
かすかな不死の言葉を

「生の罪」


406197565Xチャンドス卿の手紙・アンドレアス (講談社文芸文庫)
ホフマンスタール Hugo Von Hofmannsthal
講談社 1997-04

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「三韻詩」「生の罪」の引用はこちらから。幽玄な趣がホフマンスタール詩の魅力だろう。世紀末的な憂愁の響きも聞かれる。
道の上をさまよう風は
甘いひびきにみちていた
小暗くかすみながらさざめく雨は
あこがれにしっとりひたされていた

したたり流れ鳴る水は
夢の声をうっとりとかきみだし
夢はいよいよ蒼ざめて
ただよう霧に溶けて行った

「たそがれの雨」


4003245725ホフマンスタール詩集 (岩波文庫)
ホフマンスタール 川村 二郎
岩波書店 2009-01-16

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