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zoom RSS 『青い麦』 コレット

<<   作成日時 : 2014/01/08 00:00   >>

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君と夏の終わり。

16歳のフィリップと15歳のヴァンカは幼なじみで、毎年夏になるとそれぞれの両親とともにブルターニュの海辺へやって来る。彼らはまるで兄妹のように親密だった。しかし今年は去年までとどこか違う。フィリップは、少年のようなヴァンカが汚れた格好で向かうエビ取りに同行しても心楽しまず、ヴァンカのほうでもフィリップの何気ない言動に苛立ちを覚える。互いが互いを異性として意識していることに二人は薄々気づいている。「フィルとヴァンカはずっと一緒」という合言葉のような約束を口にすれば、それが選択を強いる遠くない将来を想像させて恐くなる。互いに互いを愛してはいる、そこには性的なものよりも仲間意識のようなものがより強く働いていた。しかし今年は違う。来年になればもっと違うかもしれない。いや、そもそも、来年もまた無邪気に、これまでのように一つ屋根の下で過ごせるだろうか。二人にはそれぞれの進路がある。一緒にならないかぎりやがて彼らは別れなくてはならない。自分たちを「無邪気な子ども」として扱う影のような大人たちの存在は疎ましい。けれども、もし「無邪気な子ども」であることをよしてしまえば――「一人前」の男女として認められるようになれば――そのときにはフィリップとヴァンカの関係も、今あるものとは大きく変わってしまうだろう。そしてその時はもう間もない。二人が少年と少女で、兄と妹でいられるのは、もしかしたら今年の夏が最後かもしれない。

性の目覚めとともに、幸福な子供時代が終わろうとしていることの焦燥が彼らをぎこちなくさせる。想い合ってはいる、けれどもその想いは時とともに別の種類のものに変わっていかざるを得ない。ぎくしゃくする二人の間に、一人の謎めいた女性が現れる。マダム・ダルレイ。海辺にやって来たこの女性に、フィリップは反発しながらも惹かれ、彼女との逢瀬を重ね、生まれて初めて夜の愛を体験する。深夜にこっそりと、女の家から自室に戻るフィリップ。その翌日から、ヴァンカの態度は怒りを含んだような荒っぽいものになっていく。やがてマダム・ダルレイは素っ気ない伝言を残して避暑地を去り、あとに残されたフィリップは呆然と立ち尽くす。夏の終わりが近づいていた。日ごと浜辺を照らす太陽の光は弱くなり、空の色は淡さを増し、潮風には秋の気配が混ざり始める。バカンスから日常へと戻る時が来た。フィリップとヴァンカは二人して海辺を散歩する。話題はフィリップの「秘密」へと移る。隠していたつもりだったのに、ヴァンカにはお見通しだった。彼女は愛する者だけが持ちうる鋭さで相手の「裏切り」を見抜いていた。戸惑い、弁解するフィリップを前にして、ヴァンカは怒りを爆発させる。「黙れ、フィル、黙れ!」鳥のような叫びを上げ、拳で力の限りにフィリップの顔を殴りつける。どうして自分を裏切ったのか、と強くなじる。フィリップは愚かな返答しかできない。その夜、上弦の月がほのかに照らす庭で、冷静さと優しさを取り戻した二人は仲直りをし、男と女として結ばれる。ロマンチックな夜ではなかった。肌をちくちく刺すソバの茎のうえで「苦痛を少しと快楽を少し」与え合う、それだけの夜だった。

性に目覚める頃、少年少女は(愛する人との)性交はどんなに素敵なものかと夢想する。そしてその体験を経る前と後では、きっと世界は変わって見えるのではないかとも空想する。実際に体験してみれば、初めてのぎこちなさから夢見ていたような喜びは裏切られる結果に終わり、「苦痛を少しと快楽を少し」得、恥ずかしい思いもするかもしれなかった(「若い男性というものは、はてしない夢想に満ちた長く狂おしい恋を、葛藤しながらも肉体の快楽と取りかえてしまうと、それ以降は夢が限定されてしまうのがしばしばだが」)。フィリップはマダム・ダルレイに性の手ほどきを受ける。おそらく初めての体験は彼に何らかの感動を与えはしただろう(嬉しくて彼は泣く)。けれども自室に戻って鏡のまえに立ってみれば、そこには「疲労でやつれた顔」、「目はどんよりと隈ができて大きく見え、くちびるには押しつけられた口紅の色がわずかに残り、額には乱れた黒髪がかかって――一人前の男というより、心に傷を負った少女のような悲しげな顔」が映っているばかりだった。その前と後とで劇的な変化があるわけではなかった。その後、フィリップはヴァンカと結ばれる。朝になって、フィリップは自分の初体験後を思い出し、おそらく同じように傷ついているだろうヴァンカにかけるべき慰めの言葉をあれこれ思案しながら彼女の様子を離れたところから窺う。すると案に相違して、彼女は眩しそうに青空を見上げ、庭の花に水をやり、好きな歌を口ずさんでいる。「歌なんか歌ってる…」自分が初体験を済ませたあとは、深夜の庭をあてもなくさまよい歩き、歓喜と喪失の物思いに耽り、涙さえ流したというのに、ヴァンカときたら、まるで「何事もなかったみたいに無傷」に見える。「あと二、三週間したら、歌っていた少女が自分を有罪と知り、怯えて泣くのかもしれない」、そうコレットは留保しているものの、葛藤するフィリップと歌うヴァンカという対照的な二人の体験後の描写は、管理人には、自身恋多き生涯を送ったコレットのリアリズムと読める。
あの晩、ぼくはこの窓の下に倒れこんだ。はじめて知ったことが雷みたいな激しさでぼくを貫き、子ども時代が終わって、今のぼくが生まれたんだ。それなのに彼女は、歌ってる、歌ってる……


若い男女の不慣れな性交なんてそれほどのことはなかったのだ。フィリップの(ロマンチックな)懸念は杞憂に終わり、ヴァンカは9月の青空の下で陽気にしている。遠くからそのさまを観察して途方に暮れる彼の姿には滑稽さすら漂っている。こういう男女の感覚の差異はほかの場面でも見られる。結ばれる夜の彼らの行動を見てみよう。フィリップがこっそり部屋を抜け出てきたつもりでいると、彼を見つけたヴァンカは、「ガラスの扉は閉めてきた?」と確認する。フィリップはそんなこと考えもしなかった。「風が出てきて扉がガタガタいってるのが聞こえない? ああ! ぜんぶわたしが気をまわしておかないと……」彼女はそう言って扉を閉めに行く。実落としの終わったソバを見つけてフィリップが怪訝に思うと、昼にソバの実を棒で打つ音を聞いたとヴァンカが言う。それはちょうど二人が「裏切り」について激しい喧嘩をしていたときだったので、そちらに夢中だったフィリップは何も聞いていなかった。ひとつことに気を取られがちな男と、周囲の状況を怠りなく把握する女と。コレットが表現する男女の現実感覚の差異――それを彼女のリアリズムと呼びたい――が可笑しさを誘う。

日焼けしたヴァンカがパーティのために白いワンピースを着ているのを見ると、フィリップは「こんなに野暮ったいあいつ、見たことない」と内心で毒づく。それなのに、彼女が客と談笑している姿、女らしい気取った姿を見るにつれ、「あいつはすごくきれいだ」と思い直す。ところが、また二人きりになってみれば、もうさっき見た「すごくきれいな」ヴァンカを彼女のなかに見出せない。あの美しい少女は幻影のように今は消えてしまった。遠くなるとき女は美しくなる、自分の腕のなかからいなくなれば欲しくなる。そんな彼に、ヴァンカは無邪気に「ねえ、どうしたの? 怒ってるの?」と問うしかできない。マダム・ダルレイとの初体験を経たあとでは、彼女のような「女性」をヴァンカのうちには決して見まいとする。彼は深夜の庭で、抱いてきたばかりの体と、見慣れたはずの幼なじみの体を比較する。
その体――愛のための役割をにない、愛に捧げられる運命の彼女(筆者注:ヴァンカ)のその体――と、あの体――巧妙な誘拐を好み、略奪者の才や情熱にも似た執拗さで、教え導くふりをした偽善者か魔女のような女の、あの体――とのあいだに、共通のものがあるのだろうか?
「ひとつもない!」フィリップは思わず声をあげた。
昨日はまだ、彼はヴァンカが自分のものになるまでの時間を、忍耐づよく見積もっていたのだ。だが今日は、震えと敗北の甘美さを体に残していったあの女の手ほどきに、血の気が引いていた。思い浮かべたくもない光景に、フィリップは全身であとずさりした……。
「あるもんか!」

思春期特有の、異性(他者)への幻想。性への憧れと、性への嫌悪。少年時代の無垢が失われる経過とも、男の身勝手とも読める。一方には大人の世界を象徴するマダムがいて、もう一方には少年時代を象徴する幼なじみの少女がいる。一方は焦がれる夜、もう一方はなつかしい昼。まったく異なる存在と思えた二人の女。けれども最後になって、少年はそのどちらもが、ともに愛へと通じている二つの別の道に過ぎなかったことを悟る。少年は少年であることをやめ、一人前の男として歩き出しつつある。愛の、苦い認識を抱いて。
フィリップは片肘をつき、そのくぼみに顔をうずめて、ただ考えた。わが身の卑小さについて、堕落について、やさしさについて。
<英雄でもなければ、死刑執行人でもない……苦痛を少しと、快楽を少し……ぼくが彼女に与えたものは、それだけ……それだけなんだ……>


いまはまだ「それだけ」と思える。その「それだけ」を「それだけ」以上にしていけるようになるには、もう少しの時間が要る。そうしてそうできるようになったとき、彼はかつての自身を懐かしいような、恥ずかしいような気持で振り返るのだろう。
うまく与えることも、受けとることもできなかった快楽でも、やがてふたりで完成させていけるものだということが、フィリップにはまだわからなかった。

それがまだわからないほどに、彼は若かった。

「性に目覚める頃」の少年と少女の微妙な心理――そこには成熟した男女が抱くのと同様の暗い情念も渦巻いているのだが――と、性によって幻想から覚めて現実へと一歩を踏み出す少年の姿が郷愁を誘う。『シェリ』にあったのが、いままさに散ろうとする大輪の花の儚い美しさだったとしたら、本作にはこれから咲こうとする蕾のみずみずしい美しさがある。




4334752195青い麦 (光文社古典新訳文庫)
シドニー=ガブリエル コレット Sidonie‐Gabrielle Colette
光文社 2010-11-11

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作中で言及されているが、『青い麦』はあの愛らしい『ダフニスとクロエー』のコレット版と読める。
4003211219ダフニスとクロエー (岩波文庫 赤 112-1)
ロンゴス 松平 千秋
岩波書店 1987-03-16

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