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zoom RSS 『パリの憂鬱』 ボードレール

<<   作成日時 : 2014/01/22 00:00   >>

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パリ情景。

異なる翻訳で再読。中世の暗い影をとどめたパリは、第二帝政下の1850年代後半から60年にかけて、整然として明るい近代都市へと急速に相貌を変えていく。「19世紀の首都パリ」(ベンヤミン)が、人の心の変化にも増して速やかに移り変わっていくのを目にした『悪の華』の詩人は、「同時代の現実に真っ向から立ち向かい、その急速な生活の変化のなかから新しい美とポエジーを取り出」そうと試みる。時代の変化に伴うように、制約がある従来の定型韻文詩型ではなく、より自由な表現形式である散文詩形こそ、主題にふさわしい表現形式と詩人には思われた(「律動と形式を持たないのに音楽的であり、魂の叙情的な動きにも、夢想の揺らめきや、意識のふいの痙攣にも充分対応できるだけにしなやかであり、ごつごつもした詩的散文の奇蹟を、野心を抱いていた日々に夢見なかった者が私たちのなかに誰かいるでしょうか」――「アルセーヌ・ウーセイに」)。散文詩は「(都市の)散歩の途上でぶつかるあらゆる出来事に狂詩曲的な思考を絡ませ、それぞれの対象から不快なモラルを導き出す」という主旨のもと、心身衰弱や経済的困窮のなかで書かれていくが(晩年は経済的な理由からベルギーに移った)、最終的には予定していた100篇のうちの半分である50篇を仕上げたところで詩人の命が尽きる。個々の詩篇は詩集という集合体のなかに配列されることで、「他の詩篇とのあいだにあらたな照応や交響を生じて、単独では持ちえなかった美と多義性を加えることになり、一方、詩集全体もその照応と交響によって一つの音楽を奏でることになる」――詩集は詩の寄せ集め(アルバム)ではなく首尾をそなえた建築物でなくてはならない、ボードレールは詩集を編むということについてそのように考えていた。詩人の思想の結晶としての一冊の詩集。パリに住む孤独な詩人が「群集にまぎれてこの大都会の隅々を徘徊し、途上でぶつかる事件や胸に浮かぶ想念・印象を抒情的、即物的、あるいは寓意的に記していく」、『パリの憂鬱』の内容を要約するとそうなる。
群集に沐浴するというのは誰にもできることではない。群集を楽しむのは一つの芸術なのだ。(略)
もの思いに耽る孤独な散歩者は、この万人との合体に奇妙な陶酔を覚える。群集とたやすく結婚する者は、忘我的な悦楽を知っているが、これは、金庫のように心を閉ざしたエゴイストや軟体動物のように内にこもった怠け者にはけだし永久に無縁の体験だろう。偶然がもたらしてくれるあらゆる職業、あらゆる歓び、あらゆる悲惨を、彼はわがものとして受け入れるのだ。

「群集」

『パリの憂鬱』のその散文詩としての美しさ、新しさは翻訳でしか読めない管理人には分からない。だから散文小品(ローベルト・ヴァルザーのそれのように)として読んだ。

産業の発達による都市の急激な発展。大都市の輝きは、同時に、搾取され、あるいは落ちぶれ、あるいは道を踏み外した哀れな弱き者たちをも大量に生み出した。近代化の光と影。ボードレールは彼ら貧しき人々、落伍した人々の姿を共感をこめてスケッチしている。「詩人や哲学者が抗いがたく惹き寄せられるのは、すべての弱いもの、滅びたもの、悲しいもの、寄る辺のないものに対してなのである」。数多くあるそうしたスケッチのうちでも「寡婦たち」は出色の出来だろう。詩人は人けのないベンチに座っている寡婦たちが裕福であるか貧しいか一目で見抜けるという。なぜなら「貧しい者の喪服姿には、かならずなにかしら欠けたもの、調和の欠如といったものがあって、その姿をいっそう痛ましいものにしている」からだ。「貧しい者は自分の苦しみにもつつましくせざるをえず、富める者は自分の苦しみをも着飾る」。
このうえなく悲しく、このうえなく人を悲しみに誘う寡婦とは、自分の夢想を分かち合うことのできない頑是ない幼子の手を引いた寡婦だろうか、それとも完全に独りぼっちの寡婦だろうか。そのどっちとも私には言えない……。

二人の寡婦のスケッチ。一人は、みすぼらしい服装の老いた寡婦。彼女はカフェで寂しい朝食をしたためたあと、新聞閲覧所で新聞を読み、午後になると公園の片隅に腰を下ろして軍楽隊の演奏に耳を傾けている。それだけを孤独な暮らしの慰めとするかのように(『悪の華』によく似た内容の詩がある――「小さな老婆たち」)。もう一人は若い寡婦。彼女は喪服をまとい、同じく喪服を着た子供の手を引いて、野外演奏会の囲い柵の外から、「最下層の群集」の一人として「風のまにまに途切れとぎれ流れて来る音楽の切れはしを無料でとらえながら」、なかにいる富める人々の「光煌く坩堝」を眺めている。彼女は毅然としていて、その姿にそなわる高貴さは、昔の美しい貴婦人たちの肖像画のコレクションのなかにもこれに比肩するものはないほどで、こんなにも気高く、美徳に溢れたように見える女性が音楽会の僅かな入場料さえ倹約して、おそらくは彼女の心の喜びであるはずの音楽を「切れはし」で我慢しなくてはならないのは、子供に必要な何かを買ってやるためなのだろう。絶対的孤独に沈む老いた寡婦と、子供のために自らの喜びを犠牲にする寡婦。二人の貧しい寡婦を捉える詩人の眼差しには共感、労わりの心がこもっており、哀れみを喚起させる。

しかしボードレールの貧者への眼差しは単純素朴な同情ではない。「貧者たちをぶちのめせ!」に一人の老いた乞食が登場する。彼が恵みを乞うたとき、詩人に「ダイモン」の声が聞こえる。声はこう囁いていた、「他者と平等であることを証明する者だけが他者と平等であり、自由を戦い取る者だけが自由に値する」。詩人は乞食に飛びかかる、殴られて乞食も応戦する。ともに傷を負ったあとで、詩人は争いの終わりを告げる。「あなた、あなたは私と平等な人間です!」さあ、財布を分かち合おう、これこそが「本当の博愛主義」だ、と。「憐憫とは弱者の策略だと知るために、ボードレールはニーチェの長い模索を必要としない」――訳注にそうある。この詩篇にはまた、革命の命題に関する逆説的な構想もこめられてある。

貧しき者たちとともに、老いた者(女性)もボードレールにとっては共感の対象だった。「老いた女の絶望」の訳注にはこうある。
ボードレールには(略)若い女性に対して時に抱く嫌悪(または恐怖)とは逆に、老いと不幸によって「浄化された」女性に寄せる深い同情があった。(略)一八一五年八月二六日付のアルバムへの書き込みに「老いた女性たち、恋人や夫や子供やみずからの過ちでたいそう苦しんでいるこれらの人々に対して私の覚える抑えようのない共感…」と述べられている。

「私は単に、よく出来た詩や芸術作品は、自然に、また必然的に、道徳を示唆するものだと信じているだけです。あとは読者の課題です」、散文詩とともに本書に収録された晩年の手紙で、ボードレールはそう述べている。

ほかに、群集のなかにおける孤独、道化師としての芸術家、想像力の称揚なども主題として見られる。「窓」は管理人にとって「寡婦たち」や「黄昏」などとともに本集中もっとも好ましい詩篇のひとつだ。多くない分量なので全篇引用すると、
開かれた窓のなかを外から眺める人は、閉ざされた窓を眺める人ほど多くのものを見ているわけではけっしてない。一本の蝋燭の光に照らされた窓ほど、奥深く、神秘的で、豊かで、暗黒で、眩いものはない。真昼の太陽の光の下で見ることのできるものは、常に、ガラス窓の向こう側で起こっていることほど興味をそそらない。この暗い、または明るい穴のなかに、生命が生き、生命が夢み、生命が苦しんでいる。
連なる屋根の波の向こうに、私はひとりの女を見かける。女は中年で、すでに皺を生じ、貧しく、いつもなにかの上に身を屈めていて、かつて表へ出るのを見たためしがない。その顔、その衣装、その身のこなし、そのほとんど取るに足らないことから、私はこの女の物語、というよりはむしろ彼女の伝説を作り上げてきた。そしてそれを、時折、私は自分自身に語り聞かせて泪を流す。
仮にそれが貧しいひとりの老人だったとしても、私は同じようにたやすくその男の伝説を作り上げただろう。
そして私は、自分以外の人々のなかで生き、苦しんだことに誇りを覚えながら、眠りにつく。
おそらくあなたがたは言われるだろう、「その伝説が本物だとおまえは信じ込んでいるのか」と。私の外部に置かれた現実がどんなものであれ、それが、私の生きていくよすがになり、私が存在していて、その存在がなんであるかを感じ取る助けになるとしたら、いっこうにかまわないではないか。

孤独な都市生活者の夢想としての散文詩。

『パリの憂鬱』とは、詩(韻文)でないものによって詩(ポエジー)を創出するという逆説的な試みだった。何であれ詩の対象として歌うことができる。美とは先天的な属性ではなく鑑賞者が発見するものであるというテーゼは、シャルダンの静物画に美を見出すプルーストへ受け継がれるのだろう(想起のヴィジョンの継承もあるだろう――「異国の香り」や「髪」とマドレーヌや敷石)。福永武彦訳と比較はできないが、この翻訳は明晰でとても読みやすかった。



4622080699ボードレール パリの憂鬱 (大人の本棚)
シャルル ボードレール Charles‐Pierre Baudelaire
みすず書房 2006-08

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