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zoom RSS 『ビリティスの歌』 ピエール・ルイス

<<   作成日時 : 2014/02/04 00:00   >>

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夜の女王。

高等中学時代、同年輩のジードやヴァレリーをその絢爛たる才能で圧倒したピエール・ルイスが24歳のときに発表した詩集。彼はこの詩集を、紀元前6世紀のギリシア女流詩人ビリティスの詩の翻訳だと偽って発表した。若くして古代ギリシア詩に関する該博な知識を身につけ、徹底的な研究を積み重ねて当時の詩風を自家薬籠中のものとして臨んだ創作は、その完璧さから専門家を含む多くの人々を欺き、ルイスの言うとおり実在した詩人のものと信じ込んで「誤訳」を指摘したり、「新訳」を試みる者まで現れて作者を唖然とさせるほどの反響を得た。

本作は、架空の女流詩人ビリティスが、清純な少女からやがて遊女となるまでの生涯を三部に分けて歌ったもの。第一部「パンフィーリーの牧歌」は、ギリシアのパンフィーリーに生まれた少女ビリティスが、豊かな自然のなかで山羊や羊たちを牧する暮らしを送るうちに愛と性に目覚めていく様子をみずみずしく伝える。樹登りや、水浴びや、蜂蜜取りをして遊ぶ純朴な少女が次第に女へと成長していく過程にはエロティシズムよりも抒情が強調されており、読んでいて爽やかな印象を受ける。精霊たちが人々のすぐそばにいるような半ば神話的な世界で、ビリティスはある男に恋をし、性を知り、子を産む。しかしこの愛はうまくゆかなかった。彼女は一切を捨て、故郷をあとにする。

第二部「ミュティレネの哀歌」ではビリティスは小アジアのレスボス島へ渡り、ここでサッフォーと知り合い、少女ムナシディカ(サッフォーの詩に登場する実在の人物)と出会って、彼女との同性愛に耽る。女同士の、「邪淫の執念というよりはもっと真心の情熱に満ち満ちた」繊細な性愛の歓喜が、感情豊かに、艶麗に歌われる。しかし二人の関係は長くは続かない。ムナシディカはやがてビリティスの知らない女を愛するようになり、遂に姿を消す。捨てられた方はほかの女で心の空虚を埋めようとする。しかし失った恋人の代わりが務まるほどの女はレスボス島にはいなかった。誰と夜をともにしようと思い出されるのは最愛の人の面影だけ。傷心のビリティスは島を去る。

第三部「キュプロス島の碑銘詩」では、ビリティスはキュプロスで遊女になっている。訳者は、古代ギリシアにおいてはキュプロスという地名自体が性愛を連想させるものだったと解説している。女神アフロディテの神殿があったこの島は、当時、神殿売春で名高かった。夜な夜な春をひさぐビリティスを伝える第三部は、全篇中でもっとも頽唐たる気分が漂い、淫靡な詩が目立つ。ルイスが憧憬した東方的ギリシア――本作ののち書かれることになる『アフロディテ』と同様の――のムードが濃厚に漂う。ここにいるビリティスはもはや若くない(それでも40歳に満たないのだが)。自らの美貌と肉体の衰えを自覚している。かつて彼女が希求してやまなかった官能もいまでは倦み疲れた。そうして男たちからは忘れ去られ、朝の雨に濡れながら、砂のうえに詩を書き付けている。その詩はすぐにも消え去ってしまうのだろうけれども――。官能の歓びに満ちた生が終わろうとしている、「もう人に愛されることもあるまい」、その嘆きとともに。最後に置かれた三篇の碑銘詩が彼女の生涯を総括する。

各人は各人の趣味(生理)に従ってしか読めない。管理人は、第一部からは抒情性、第二部からは恋の高揚とその後の失恋の切なさ、そして第三部からは老いつつある女の寂しさを読んだ。ビリティスの生涯の異なる時期をそれぞれ描き出す三枚のタブローというべき三部に甲乙はつけられない。そのどれにも魅力がある。清純可憐な少女が熱烈な恋を経験したのち遊女となって、最後は孤独な死を迎えるという筋を知ったうえで改めて第一部に戻ってみれば、行く末を知っているだけに少女ビリティスへの哀れみはいよいよ増す。むせるような濃い愛欲の世界を歌っていながら、こんなにも切なく寂しい情緒を醸しているのは、エロスの背後には常に死が意識されるからだろうか。愛の獲得は喪失を準備するものでしかないという苦い認識が透けて見えるからだろうか。女の――花の――命の短さが残酷なまでに偽りなく描かれているからだろうか。

わが肉体よ、官能の使命のままに、臥所にとどまれよ、
日々の歓楽と、明日なき情熱を味わえ。
世のなべての悦楽を、残りなく極めよ、
死ぬる日に悔恨(くい)をおぼえることのないように。

「わが肉体とわが生を歌う」


夜は消えて、星々も遠ざかった。最後まで残っていた遊女たちも、
恋人を伴って帰ってしまった。わたしはひとり、朝の雨に濡れて、
砂の上にこの詩を書き付けている。

「朝の雨」

ともに絶唱だろう。パンフィーリーの豊かな自然のなかで牧歌的に暮らしていた少女は、いま、一人きり、雨に濡れるのも構わず、背中を丸め、数えきれぬほどの愛撫を重ねた指でもって砂に詩を書き付けている。サッフォーに歌われたこともある自慢の長い髪は雨を吸って暗く輝き、はだけた衣の前からは豊かな胸が覗いている。去来するのは故郷の野山の、最愛の女が向けてくれた微笑の、それとも最後の恋人と過ごした夜の思い出だろうか。光陰は矢のごとし。生は有限で、人間は孤独だ。命は短く、歓びは儚い。過ぎ去れば何もかもが夢だったよう。だから、生きてあることは悲しい。悲しいのに、それなのに甘いから、われわれはこの生に執着するのだった。

人の一生が長い夢ならば、それに逆らったとてなんになろう。今はただ
一夜のうちに四度五度の愛の悦楽に身をゆだねて、腰の力萎え果てるとき、
体のくず折れるところに眠る。

「鳩」



ブルジョワ的価値観が支配する当時のフランス社会を嫌悪していたルイスは、功利性や堅苦しい道徳観とは無縁の東方的ギリシアを理想世界として生涯憧れ続けた。しかし皮肉にも『ビリティスの歌』と『アフロディテ』の成功によって、彼は若くして世紀末の文壇のもっとも高名な作家になる。社交の場に顔を出せば女性たちはたちまち彼の周囲に群がった。この成功があまりにも輝かしかったから、以後の彼が『女と人形』のような傑作を書いても、その評判は若き日の二作を越えることはとうとうなかった。30歳を過ぎてからは文壇や社交界に背を向けて一文にもならない古代研究に没頭し、仕事らしい仕事もせず、隠者のような生活を送る。本書に収録されている「ビリティスの秘められた歌」という淫猥な詩篇はいわば本編の「裏本」で、公表の意図なしにただ自分一人が楽しむ目的でひそかに書かれ、詩人の死後、膨大な遺稿のなかから発見される(目方400キロ以上にも及ぶという遺稿の大半は心ない者によってばら売りされてしまう)。好色本を収集し、自らも好色本を書くほどエロスに憑かれたルイスは、同性愛を含むさまざまな性愛を試して飽くことがなかったという。奇妙な生涯だった。マラルメ、ジード、ヴァレリーといった錚々たる大作家たちを結びつけたり、その可能性を切り開いたりしたのに、彼自身は若い頃に一世を風靡したのちは人々に忘れ去られ、文学史の片隅にわずかに名を残すほどの作家として1925年に55歳で亡くなっている。晩年の彼は、世間から『ビリティスの歌』と『アフロディテ』の作者としてしか見られていないことを残念がっていたという。「後の世の恋を知る人は、/声そろえてわたしの歌を歌うことだろう」――『ビリティスの歌』が作者自身による予言だったように見えてしまうのは、後世の読者の恣意的な読みになるだろうか。




4891765046ビリティスの歌
ピエール ルイス Pierre Lou¨ys
水声社 2003-12

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本記事にはこちらも参照した。鈴木信太郎訳は典雅で澄明な訳文が魅力的で、やや古風な言い回しも世界観によく合っており夢見心地に誘われる。しかし沓掛訳にせよ鈴木訳にせよ、女から発せられる「あんた」という呼びかけは、現代ではもはや有効期限切れという気がするのだが、どうか。
4061962779ビリチスの歌 (講談社文芸文庫―現代日本の翻訳)
ピエエル ルイス Pierre Louys
講談社 1994-06

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