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zoom RSS 『明日は舞踏会』 鹿島茂

<<   作成日時 : 2014/08/10 00:00   >>

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夢見る少女じゃいられない。

数年ぶりに再読。19世紀フランスの小説を読んでいて妙に思うのは、『ゴリオ爺さん』のラスティニャックにせよ、『感情教育』のフレデリック・モローにせよ、『赤と黒』のジュリアンにせよ、なぜ彼らは同世代の少女とは恋愛をせずに人妻とするのか、ということだ。そして少女たちはなぜ、同世代の若者とではなくかなり年長の――ときには彼女たちの父親と同じかそれ以上の年齢の――男と結婚するのか(さらに彼は遠い親戚だったりする場合もある)。そしてたびたび言及される持参金は結婚に際してどんな意味をもつのか。現代日本の読者にはやや分かりづらい19世紀フランスの恋愛および結婚事情をバルザックの『二人の若妻の手記』を軸にして、女性の側から描き出す。

『手記』の主人公ルイーズは少女時代を修道院の寄宿学校で過ごす。『ボヴァリー夫人』のエンマや『女の一生』のジャンヌもそうだが、19世紀前半には、娘を修道院の寄宿学校に入れる習慣は「貴族からブルジョワジー、富裕な農民にまで広がっていた」。といってそこでの教育は知育を中心にしたものではなく、厳かな雰囲気のなかで宗教感情を育てることに重きが置かれ、一日の日課の大半は聖務であり、読み書きは教理問答が理解できる程度、計算は結婚して家計簿がつけられる程度の基礎的なレベルに限られていた。異性との接触は一切ない。そんな外界から隔絶された環境のなかで多感な年頃を過ごすのだから、なかには夢想を激しく募らせて現実と空想の境界を危うくしていしまう少女もいた。修道院の神秘的な雰囲気も、日常から乖離したような非現実感を生むよすがになっていたかもしれない。

夢想的な少女の戯画がエンマ・ボヴァリーだった。現実を現実として受け止めることができない彼女はやがて破滅するだろう。しかし大半の少女たちは滅びることなく現実と理想をすりあわせてうまくやっていく。では、彼女たちを待っていた現実、すなわち結婚は、19世紀のフランス社会においてどのようなものであったか。
十九世紀の前半には、結婚は基本的に、家と家、というよりも、金銭と金銭の結合にすぎなかった。もちろん、ひとくちに金銭といっても、このうちには有形無形の財産が換算される。たとえば、由緒ある家柄というのは、そしてそれが王家につながるような貴族であれば、換算ポイントはきわめて高い。さらに女性の場合、美貌は当然、大きなポイントである。これに、若さが加わればいうことはない。つまり、もっとも高得点をあげうる花嫁候補は、まず由緒正しい貴族の家柄で、持参金もたっぷりとあり、若く、美貌であるという条件を兼ね備えた女性だろう。不思議なことに、気立ての良さというのはほとんどポイントにならない。


「商取引」としての結婚。しかし、上記条件のすべてを満たす花嫁候補などそうそういない。大抵は、家柄だったり、持参金であったり、どれかが欠けている。その分だけ換算ポイントが低くなれば、相手もそれに見合ったなかから選ぶことになる。当時の結婚は「金銭と金銭の結合」だったから、上記条件のなかでも持参金は重視された。『ゴリオ爺さん』の二人の娘は製麺業者の娘なので家柄ポイントは低いが、父親が莫大な持参金(本書執筆時の日本円に換算して億単位)をもたせてくれたおかげで貴族の夫人に納まることができた。持参金はポイント不足を補うもっとも有力な手段、しかし『手記』のルイーズも含め、バルザックのヒロインたちの多くはこの持参金を用意できない家庭の娘たちであり、制限された選択肢のなかからもっとも「得になる」相手をいかに選ぶか、その過程がドラマを生んでいる。逆にいえば、それだけ持参金は結婚する際に非常に大きな意味をもっていた(「結婚とは、結局のところ、持参金のことだったといっても決していいすぎではない」)。家柄も、容貌も優れていない女性にとって、持参金は切り札になりえたのだ。

いうまでもないがポイント制は男にも適用される。持参金のないわれらがヒロインたちの結婚相手になりうる男は2種類。貴族で資産家だが、若さと美貌がない男。または、貴族で、若さと美貌に恵まれているが資産のない男。大抵の場合、ヒロインたちは前者を選ぶ。人生50年の時代に60歳を過ぎ、あとは死ぬのを待つだけの貴族で、かつ資産家(なぜこの老人たちがこの歳まで独身で結婚相手を探しているかは後述)。ヒロインたちは両親にいい含められてそういう老人と結婚する。お前は18歳、相手は60歳。5、6年も我慢すれば財産も家柄もお前のものになる、だからそれまでは辛抱おし。いや、子どもさえ作ってしまえばあとは他人として暮らしたっていい――。19世紀の貴族社会では、恋も愛も結婚のあとにくることになっていた。金銭や家柄こそ結婚の最優先事項で、子どもができれば夫婦の義務は果たされ、あとは宏壮な邸宅内の別棟でそれぞれ他人として滅多に顔を合わせることなく暮らしていくことができた。そのうち貴族の奥方は若い愛人をもつようになり、高齢の夫が死ぬと家柄と資産を継いで、この青年と二度目の結婚をする。奥方が亡くなれば、その財産はもと青年だった愛人のものとなり、彼は若い女性と二度目の結婚をする。先の、われらがヒロインたちの結婚相手になる高齢の独身貴族とはこの循環を経たあとの男だった。いわば生涯二度の結婚システム。冒頭の、青年たちがなぜ年上の貴族の夫人と恋愛をするのかもこれで明らかになった。青年は自分と同世代の少女たちが修道院の寄宿学校に入っているので会う機会がなく、年頃になって彼女たちが寄宿学校から帰ってきたあとは財産目当てで年長の独身貴族と結婚してしまうので、若い男女の恋愛は生まれようがなかったのだ。一方で立身出世を望む野心的な青年は、資産をたっぷりもっている貴族の奥方に目をつける。愛や恋よりも、現実的な利害こそが当時の結婚でもっとも大切な問題だった。金銭や地位(家柄)といったステータスをめぐる駆け引きこそが、19世紀の結婚の現実だったのだ。そして若い女性が自らの「商品価値」を披露する場、それが舞踏会だった(「舞踏会は、結婚市場における娘の商品価値を決める重要な試練であり、極端にいえば、今後の社会生活や家族の運命をも決する影響力をもっている」)。

既製服もイージー・オーダーもない時代、晴れの衣装は仕立屋に寸法を測ってもらうところから始まる。19世紀のモードの美学は「ふくらんだバスト、細いウェスト、突き出たヒップ」であり、これを支えるために採用されたのがコルセットだった。胴は細ければ細いほど美人とされた時代、女性たちは鯨の髭でできたコルセットで胴を締め付けるという「拷問」に耐えねばならなかった。コルセットを着用した女性たちの7割(!)が何らかの健康被害に遭い、もちこたえた残り3割も非常な不快感に苦しめられる。コルセットの支配は1810年から1910年までの100年間も続いたという。美の規範は時代や国ごとに移り変わっていくものだろうが、それにかける女性――とくに若い女性――の情熱は(強制されていた側面もあるかもしれないが)時代や国境を越えるものであるのかもしれない。コルセットとデコルテの流行もあって、19世紀のモードの規範は、女性に、上半身は殆ど裸に近い格好になることを求めた。一方で下半身は引きずるような長いスカートで覆われ、脚は隠された。すると皮肉にも男たちの視線は露出された上半身より隠蔽された下半身に集まるようになり、何かの拍子に足元と靴がちらりと見えたりすると、彼らは強いエロティシズムを感じるようになった。だから女性たちは可愛らしい、華奢な靴を履くようになる。「十九世紀には、靴は、あきらかにひとつの欲望の対象となりえるものだった」。欲望がモードを導いていく。

真新しいドレスに身を包み、胸高鳴らせて『手記』のルイーズは舞踏会でファースト・ステップを踏む。会場は貴族や資産家の大邸宅。大銀行家ロスチャイルド家の舞踏会の様子を引用すると、
「玄関ホールに入ると、そこはとてつもない大きさで、厳しく荘厳な感じがする。天井はイオニア式の柱列で支えられ、床には白と黒の大理石がはめてある。ところどころに、彫像が置かれているがその足下はアザレアの茂みで隠れている。さらに二頭のイルカが絡み合った噴水があり、そこから流れる水が、あたりに爽やかさと階調を生み出すいっぽう、花飾りが、それに、色と香りをまじえている。地味でシックな仕着せを着た従僕たちがまるで垣根のように、身動きひとつせず、ずらりと並んでいる」


舞踏会の会場はたいていは二階に設けられ、招待客たちは、建築家ガブリエルの時代の典型的な石造りの巨大な階段を上っていく。ロスチャイルド家の舞踏会の会場は、いくつにもつながる広間で、そのガラス窓から玄関ホールを見下ろすと、さながら劇場のボックス席から舞台を見るように、到着した貴婦人たちの絹のドレスがきらめき、裸の肩にかけたショールや宝石が光を受けて眩く反射するのが眼に入る。


ルイーズは自身の容貌にそれなりの自信を持っていた。社交界の花形である母親が選んでくれた衣装も纏っている。世間知らずの彼女は、舞踏会できっと自分は男たちの注目の的になるだろうと想像していた。しかし現実は甘くない。社交界にデビューしたばかりの垢抜けない小娘に振り向く男などいなかった。一所懸命練習したダンスのステップを披露する機会も乏しい。それに引き換え彼女の母親には、ダンスの申し込みをする男たちが順番待ちするほどの人気だった。ルイーズにとっての初めての舞踏会は、母親の引き立て役になっただけで終わるだろう。それでも、したたかな彼女はやがて望みうる最上の相手を伴侶とするのに成功するだろう。

豪奢で華やかな舞踏会の背後では、男と女の欲望が常に交差していた。当時の女性たちにとっては、恋や愛は結婚のあとに自分たちで勝ち取るものだった(岸本葉子さんは解説でこう述べている――「結婚後の恋愛は、今ふうに言えば「頑張った自分へのご褒美」ですね」)。その結婚後の自由の程度は、持参金の額によったという。自分という存在をひとつの商品として、もっとも有利な条件で取引すること。それが――ある階級以上の――19世紀フランスの結婚だった(バルザックの小説に下層民は登場しない)。その過程で生じる欲望のドラマに注目して、バルザックは数多くの傑作を書いたのだった。



本書を読むことで19世紀フランスの結婚についてのほか、当時のモードや、貴族の日常生活についても知ることができる。図版も多数収録されており楽しく読める。

4122036186明日は舞踏会 (中公文庫)
鹿島 茂
中央公論新社 2000-03

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『明日は舞踏会』が「ヒロインたちのパリの日常」なら、こちらはその男性版。タイトルになっている馬車は、当時の立身出世物語の「あがり」のシンボルだった。地方から首都に出てきた若者がダンディな一張羅を作るのは、現代日本でいうならブランドものの洋服一式を買い揃えるなどという可愛いレベルではなく、外車を購入するようなものだったとか、お洒落ななりをして自家用馬車に乗ってでなければ公園も散歩できなかったとか、具体的な金額を挙げながら明らかにされる当時の社会状況にただただ驚嘆する(というか、公園の散歩は自身の富とセンスを誇示する機会だった)。庶民からしてみたら、こんな暮らしをしていたのではいくら金があっても足りないとひやひやする。19世紀フランスの小説をよく読む人なら、知っておくとより各作品を楽しめる情報がたくさん詰まっている。

4560080003馬車が買いたい!
鹿島 茂
白水社 2009-06

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