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zoom RSS 『シルトの岸辺』 ジュリアン・グラック

<<   作成日時 : 2014/12/28 00:00   >>

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時の岸辺。

架空の国オルセンナ。昔は異教徒を武力で平らげ、東方貿易によって途方もない利益をあげて栄えた商業国だが、いまはかつての栄光も衰え、その陰に生きているような黄昏の時代にある。語り手の青年アルドーは日々の倦怠に飽き、領土の際涯(さいはて)にあるシルトの地に軍人として赴任する。シルトは国境に位置し、海を距てた向こう岸にはファルゲスタンという国があり、オルセンナは300年以上に亘ってこの国と戦争を続けている。シルトはいわば最前線。しかしこの戦争は、300年前に海賊行為をめぐって幾度かの小競り合いがあったのちは双方ともに手出しをすることがなくなり、いつしか争いは下火になり、けれども休戦協定が正式に結ばれることはないまま今日に至っている。オルセンナ政府は隣国ファルゲスタンについて詳しいことは殆ど知らず、また詳しく知ろうという意志もない。正体不明の国との3世紀に及ぶ冷戦、オルセンナはそんな奇妙な状況にある。

政庁は「シルト艦隊」だの「シルトの補給基地」だの大仰な文言を用いて文書を作成しているが、現実には、前者は「港で泥に埋もれて朽ち果てていくランチ」のことであり、後者は道筋に点在する幾つかの村落のことで、政府の認識とシルトの現実は乖離している。シルトの鎮守府に赴任したアルドーは、配置された兵員たちの大半が、軍務とは直接関係のない、奥地の荘園での農作業に駆り出されているのを知る。軍務は減る一方であるから当然予算も減る一方。政庁は、維持費の削減になるからとシルトで行われていることを黙認している。いまや鎮守府では戦果よりも収益を政庁に誇る有様で、ここにはかつてのオルセンナの商業国精神の片鱗が廃れずに残っているようでもある。

ある夜、アルドーは、一艘の小型船が哨戒水域を越えて水平線に消えていくのを目撃する。驚いて鎮守府の司令官マリノ大佐に報告するも、彼の反応は冷ややかなものだった。騒ぐにはあたらない、けしからん船がもぐりこんできただけであって、こんなことに青筋立ててもつまらない。大方、町の若い連中が酔って羽目を外すかしたのだろうさ。彼はシルトの平穏が乱されるのを望んでいない。そして保護者めいた忠告をアルドーにする。
「君は若い。私には君がよくわかるんだ。私も君のように、勤務一途に打ちこんだことがある。ひとりよがりに打ちこんだ、と言った方がいいかな。君と同じで、自分には必ず異常な出来事が起きるはずだと考えていた。それが自分の宿命だと思っていたのさ。君もいまに私のように年を取ったら、アルドー、そうしたらわかるだろう。異常な出来事など起こりはしないのだ。何も起こらない。おそらくは何も起こらぬ方がいいのだろう。君は鎮守府で退屈し切っている。あのうつろな水平線に何かが出てこないものかと思っている。君の前にもそういう男が何人もあった。みんな君のように血気さかんで、夜になると起き出して、幻の船が通りはしまいかと見張っていた。そうすると、とうとうしまいには見えてくるんだ。ここではみんな知っているが、南部特有の蜃気楼でね、それだけのことさ。シルトでは想像力を持て余すものなんだ。だが結局は行くところまで行って、想像力を使い果たすのが落ちだ。君も見たろうが、このあたりの草原の鳥は翼が退化して、地べたを走っている。あれがいい例だね。止まるような木もないし、鷹に追いかけられることもないから、飛ぶ必要がない。順応してしまったのさ。鎮守府でも順応だね。そういうものなんだし、それでうまく行くんだ。そうやってこそ、ここでは安全に暮らしていける。もし君が、それでは退屈すぎる、倦怠におちいるのは厭だ、ここで一番いい方法だという単調な生活などごめんだ、と言うのなら(略)ここを出て行くことだ」


公式上は前線でありながら、現実には平穏そのもの。この奇妙な戦争状態は、オルセンナとファルゲスタンとの暗黙の合意――どちらもが睨み合いながらも先に手は出さない――によって、300年間、保たれてきたのだろう。いや、向こう岸の国が何を考えているかなんてわからない。ただ少なくともシルトの歴代の司令官たちは、みな事を起こさぬよう息をひそめて、長い年月をかけて少しずつ「順応」していったのだろう。その結果として現状――「慣性が過飽和の状態」――がある。マリノ大佐はシルトのこの「眠り」を覚ます者としてアルドーを警戒する。
「君がいけないのは、ここに眠っている石どもに夢を見せずにおくような、控え目な態度をとらないという点だ。……こいつらは凶暴なんだよ。……私も今は年を取って、死ぬということがどんなことかわかってきた。時間のかかるむずかしい仕事でね、誰かが手を貸して、気心を合わせてやることが必要なんだ。私はつまり、君にこう言いたいんだよ、アルドー。すべてのものは二度死ぬんだ。一度は機能において、もう一度は象徴において。つまり、一度はそれが果たす役割において死に、もう一度はそれがわれわれを通じて保ち続けている欲求において死ぬ。私がいけないというのは、まさに君がそうやって気心を合わせてやることなんだよ」

マリノ大佐はこのままシルトを死の眠りに就かせることを望んでいる。しかしアルドーは司令官の態度に賛同できない。

大佐以外の鎮守府の者たちは、この日常、この戦争についてどう考えているのか。向こう岸のことを考えるか、と訊かれて同僚の一人はアルドーに答える、「いや、めったに考えない」。ファルゲスタンが攻めてくるならば戦う意志はある(戦えるような軍備があるかどうかは別として)、しかし奴らは手を出してくるでもない。「僕はあの国のことを、ただ向う側にある一つの国というふうに考えるだけだ。他のどの国とも同じような、普通の国さ。ところが君はあの国を悪の根源と見做している。それは結局、君自身のためなんだ。君はそういうものなしでいられないんだ。必要とあれば無理にでもでっちあげるだろう。つまり君は自分をこわがらせるために海坊主をでっちあげているのさ」。
たしかにファルゲスタンははじめアルドーにとって「夢想の対象」でしかなかった。手持ちぶさたな鎮守府での暮らしのなかで、空虚に陥らずにすむよう縋る杖のようなものだった。しかし、鎮守府から離れた廃墟を一人訪れて、そこで船名表示も船籍登録の形跡もない謎めいた船が物陰から窺うアルドーの気配を察知して逃げ出したとき、夢想は現実味を帯び始める。

ちょうどその頃から、鎮守府からいちばん近いマレンマという町では奇怪な噂がひそやかに流行るようになる。ファルゲスタンで何か重大な変化が起き、それはどうもオルセンナにとって幸先よいものではないらしい――。噂とはすべてそのようなものだが、出所を掴めず、根絶もできない。そもそも噂を喋っているといったところが、実際には殆ど喋るわけではない。仄めかしや言い落としによって曖昧に漠然に物事を匂わせる。明確なものは一つもなく、「何もかもが包みかくされていて、間接的」、すべてが噂につながっているのに、その噂が表面的には決して現れない。そういう噂が町に流れている。人々は退屈して、気晴らしのためにそんなクーデターの噂を流しているのだろうか、と考えるアルドーに報告者は言うだろう、ファルゲスタンでは目に見える変化は何もなく、従って見かけは今までどおり、ただ、よくわからないが一種の秘密権力が国を征服して陰から政府を操作しているらしい、と。「まるっきり夢みたいな話だ!」アルドーの反応は常識的なものだろう。問題は、そんな「夢みたいな話」を――気晴らし程度にか本気にかは問わず――受け入れている人々の精神状態にある。仮に気張らしであったとしても、そんな噂を口にするとき、人は心のどこかでその実現を期待しているのではないだろうか。そうでなければ一笑に付してあとは沈黙か忘却かするものではないのか。時とともにマレンマには風紀弛緩の徴候が現れ、占い師や説法師が登場して世の終わりを予告し、いよいよ町全体が不穏なムードに覆われていく。警察が取り締まったところで効果は薄い。やがて人々はそのムードに我知らず感化されていくだろう。「……もしかすると、やつらの言っていることは、本当かも知れませんな。ひどい結末が来るのかも知れない……」。アルドーとて例外ではない。マレンマの陰気な路地裏を一人歩きながら、彼は自身が、「終末の日がついに訪れて、勝ち目のない最後の戦いの時が満ちることへの欲求」を感じているのを自覚する。

マレンマにはアルドーの知っている令嬢がいた。ヴァネッサ・アルドブランディ。アルドブランディ家は、国家の要職に就く者を輩出すれば公然たる反逆者も輩出する野心家の一族としてオルセンナでは名高い。ヴァネッサはオルセンナの退屈に耐えきれなくなって、気分転換のため、はるばる辺境のシルトまで来たという。アルドーが見た謎の船は彼女の船だった。ただのいたずら、そう述べるヴァネッサが、本当は何の目的でシルトに来たのかをアルドーは知りたかった。「私はね、待っているの」、「何かが起こるはずだとしか思えないの。こんなことがこれ以上続くはずはないわ」。謎のような言い方、しかし鋭いアルドーには察しがつく。町に流布する噂の出所は彼女の館、もしかすると彼女自身の口から広まったのではないか、と。あの噂は打ち切るべきだ、というアルドーにヴァネッサは答える。「この問題ではみんなが共犯者なのよ」。不安や恐怖を煽るような噂は、それを意識的にか無意識にか、どちらにせよ求めるからこそ広まる。もはや最初の声はかき消え、余韻が人々の恣意を加えて様々にこだましていくだろう。そのひとつとして荘園の変化がある。鎮守府との雇用契約を更新しないと突然いってきたのだ。対象の農場の規模は広く、鎮守府からは80人の兵員を派遣していた。この人員を失っては経営が立ちゆかなくなるのは目に見えているのに、なぜそんなことを? 戦争がもうすぐ起きるから先のことなど考えられなくなった――それが答えだった。確たる証拠のない噂を真に受けるなんて馬鹿げている、しかしマリノ大佐自ら赴いた話し合いにも先方は折れず、交渉は決裂する。こうなっては仕事をなくした80人をどうしたらいい。すると士官の一人が、鎮守府の、いまや廃墟のような砦の清掃を行ったらどうかと提案する。マリノは面白くない。今更砦を清掃するなんて、まるで、ようやく眠らせた戦時中という現実を起こすようなものではないか。けれども若い士官たちは提案にすっかり夢中になってしまって、もはや大佐には止められない。その夜を境にして、彼は「日一日と憔悴し、痩せ細って行く」ようにアルドーには思えた。一方で鎮守府は少しずつ眠りから覚めていくようだ。日々、取るに足りない出来事しか起きないのは相変わらずでも、人々は熱心に仕事に取り組み、忙しく立ち働くようになる。
そこにはちょっとした遊び気分と、活動そのもののもたらす陶酔感とがあったが、だからこそかえってそれは、今まで鎮守府を覆っていた熱気の欠如をますます明白に見せつけるものでしかなかった。


町で奇怪な噂が流れていることを政庁に報告したアルドーへ返事が届く。その冗漫で謎めいた文体は「徹頭徹尾暗示的」で解読するのに困難を覚えるような代物だったが、驚くべきことに執筆者は噂の真実性をある程度までは認め、それを前提条件と見做して論旨を展開していた。「政庁はこの重要問題を解決するにかけての、貴官の怠りなき努力にたのむところ絶大である」、「これを検証するにあたり、貴官にゆだねられたる権能の限りにおいて正確かつ万全たる結果を得ることは、ひとえに貴官の知力と熱意にかかるものである」。政庁ではマリノ大佐のことが「問題になっている」らしい、とヴァネッサはアルドーにいい、彼を連れて都に戻っていく。留守のあいだ、砦はアルドーに任された。マリノ大佐の書き置きに従い、アルドーは夜間哨戒に出る。海に出ると、彼は禁を犯して哨戒水域を越え、ファルゲスタンへと向かっていく。なぜ? 彼自身、判然としない。ただ、出発前からそんな予感があった。
オルセンナを離れて以来の私の体験のすべてが何ものかに導かれたものだったように思われ、それがこの夜ふけの突進のさなかにことごとく再現して、さまざまの符牒となって闇の底から私に語りかける。アルドブランディの館の部屋部屋のたたずまい、そこに漲っている尊大な期待、ふと闇のなかに目をさますその黴臭いうつろさが、私の目の前に再び浮かぶ。背後では煙突から吐き出される濛々たる煙が、夜の中にひときわ黒い幕のように吹きちぎられて行く。(略)この清冽な風に顔を打たせ、物の形も見分けられぬ闇夜の真っ只中に立って、私は思いを一点にこらし、自分の《時》が今こそ至ろうとしていることを盲目の全身に味わい、言いようのない安堵感に身をゆだねていた。

アルドーの陶酔感が乗組員にも伝染し、半ば酩酊したように、あるいは麻痺したように、船は指揮官たる彼の指示に従い、ファルゲスタンの岸辺へと向かっていく。「異様な期待、今まさに最後のヴェールが落ちるのだという確信」、その成就が目前に迫り、魅了の呪縛に囚われていた人々はしかし、突然の轟音で我に返る。向こう岸から砲撃されたのだ。操舵手が舵を切って敵の斉射を躱し、こちらから応射しなかったことで最悪の事態は避けられたが、無傷で帰還できたのは僥倖といってよかった。沈鬱な朝の光を浴びながらアルドーは考える。オルセンナがこの戦争に怠慢だったのに対して、ファルゲスタンは厳重な警戒態勢を維持し続けていたのか。しかし闇夜とはいえ確認もなしにいきなり砲撃してくるとは腑に落ちない。こちらを探った様子はなかったし、まるでこちらが何者か、はじめから知っているようだった。それに、あれほど近距離から砲撃しておきながら、その後撃ってこなかったのはなぜなのか。ただの威嚇射撃のつもりだったのか。ファルゲスタンの意図がアルドーには見当もつかない。向こうまで行ったなんてとんでもないことをしてくれた、同僚たちははじめ驚いてアルドーを非難するが、すぐに高揚の虜になる。これがきっかけになって、今夜あたりやつらが攻めてくるかもしれない。作戦会議を開き、砦に不寝番を立てるが、一日経っても二日経っても、いや何日経とうとファルゲスタンの船影は洋上に現れず、シルトは以前と変わらぬ平穏に包まれている。束の間の高揚は兵員たちから去っていく。

数日後の夜更け、アルドーのもとに一人の男が現れる。ファルゲスタンからの使者だと名乗るその男は、アルドーに、あの侵犯行為は故意の意図からではなく偶然によるものだと否定の声明をして、今後二度と起こらないことを政庁を通じて確約できるのなら、ファルゲスタン側は今回のことを水に流すつもりでいると告げる。問答の末、結局この接触からオルセンナとファルゲスタンの関係についての平和的な解決は生まれない。アルドーは政庁に今回の件について報告書を送り、ヴァネッサに会うためマレンマへ向かう。人々はすでに鎮守府で何が起きたのかを知っていて、不穏の気配は以前にも増して強まっている。今はもうアルドーにもわかっていた。マレンマに流れている言葉、それはすべてヴァネッサが吹き込んだものだと。輿論をかき立て、もはやオルセンナが後戻りできないように仕組んだのも彼女だった。君の教唆によって僕は向こうへ行くことになったんだ、そう詰るアルドーにヴァネッサは答えるだろう。「違うわ、アルドー。誰かある人が向うへ行ったのよ。他に出口がなかったから。時が来たから。誰かが向うへ行かなければならなかったから……」。もはや事態は当事者であるアルドーの手を離れて進行している。風が吹いて、たまたま花粉を花へ運んだだけ。実がなってしまえば、風のことなんて問題にならない――。君は自分の謀略がどんな結末を迎えることになるかわかっているのか、そう問われても彼女に臆する様子は微塵もない。「戦争だ、と言いたいんでしょ?」平然とそう答える。「私の知る限り、戦争はもともと終わっていなかったはずだわ。なぜその言葉がこわいの?」戦争になればもはや破滅しかないからだ。しかし、それもオルセンナの人々が、知らず知らずのうちに望んだ結末ではないのか。
「(略)ある瞬間には、まだみんなしがみついている。それが次の瞬間には、羊みたいにぞろぞろと海に飛び込むのよ。そうだわ」彼女はさながら自分の中に動かぬ証拠を見つめているとでもいうように、言葉を続けた。「みんなが一斉に飛び込む瞬間というものが来るんだわ――恐怖でもない、計算でもない、死にたくないからというのでもない。この世のどんな声よりももっとひそやかな声が、私たちに話しかけるからだわ――たとえ死ぬにしても、船と一緒に沈むのは厭だから。生きたまま死骸に縛りつけられているくらいなら、どうなってもかまわないと思うから。こんな、死の匂いのするものにへばりついているのに比べたら、どんなことでもまだましだという気になるから……(略)」


マレンマに噂を広めているのは君だろう、以前アルドーにそう問われたとき、ヴァネッサは、この件では「みんなが共犯者」だと述べていた。ある予感が、ある期待があり、それが成就しうることを誰かがそっと囁けば――人々はあとは自分の隠れた願望を、それと自覚せぬままに募らせ、遂に成就したときになってようやく悟るのだ――これが自分の望みだったと。「……もしかすると、やつらの言っていることは、本当かも知れませんな。ひどい結末が来るのかも知れない……」、「たぶん、ろくでもないことだろうよ、万事がいつまでも変わらないなんてことは……」、「わざわいが来るんでさ、閣下」、「何も起こりゃしない。誰も来やしない、それは私にもよくわかっています。でも、その私にしたところが、ときどき何となく、街道の曲がり角を見つめてしまうことがあるんですよ」――これらはみな、違う人たちが、噂が蔓延って以降に漏らした言葉である。アルドーもまた、「終末の日がついに訪れて、勝ち目のない最後の戦いの時が満ちることへの欲求」を感じたのではなかったか。年老いて、力を無くし、かろうじて延命している哀れなオルセンナ。みなが漠然と、滅びを予感し、期待していたのかもしれない。このまま沈むくらいならいっそ――。

「私は初めから、君がきっと向うへ行くだろうと思っていた」、鎮守府に帰還したマリノ大佐はそうアルドーに述べる。同じことを、深夜にやって来たファルゲスタンからの使者も述べたのだった、「あなたがここへ来られたときから、いつか必ずこうなるはずだったのです」と。ヴァネッサの誘導や政庁の(曖昧な)指令も要素だったかもしれないが、向こうへと至ったのは結局はアルドーの宿命(意志?)であり、さらにはオルセンナの宿命だった。大佐は司令官の任務を解かれる。アルドーは政庁に召喚される。受け取った指令書にはっきりそうと書いてはなかったけれど、向こうの様子を見てこいと言われたように自分は思った。一言はっきりした言葉があればそれに従ったのに、政庁からはそんな言葉、そんな指令は一度も受けなかった――そう弁明するアルドーに対して、評議員は、君が向こうへ行く可能性があるのを承知の上で曖昧に許可を与えたのだと答える。「世界は誘惑に負ける人びとによって栄えるのだ」。政庁の真意は? そうなることが人々の――都の――望みだったからだ。
「オルセンナには自殺を喜ぶような人間は一人もいません。断言します。僕の知るかぎり一人もいません。とんでもない話です」
「本心からそう言っているわけでもなかろう、アルドー。《自殺》というのは早合点だよ。国家が死ぬことはあり得ない。ただ、形が崩れるだけさ。一つの束がほぐれるだけのことだ。結ばれていたものがほどかれたいと願い、形のはっきりしすぎたものがもう一度不明瞭な状態に戻りたいと願うような、そういう瞬間がやって来ることがある。その時がいよいよ来たとなれば、それもまた望ましいこと、良いことではないか。それがつまり、大往生をとげるということなのさ」

これは管理人の推測になるが、事態を招くべく裏で糸を引いていたのは、もしかすると作中に直接登場しない、ヴァネッサの父のアルドブランディではないか。「冷酷で無法な血筋、捉えがたい強烈な気質の血統」に生まれた彼が、亡命先から帰国し、ファルゲスタンと内通してあの砲撃を準備し、娘のヴァネッサも企みに一役買ってアルドーを誘導した。アルドーと、アルドブランディ。よく似たこの二つの名は、両者が鏡像関係にあると示唆しているようでもある(彼らが一人だからと考えると、アルドブランディが直接登場しないことが意味深く思える)。ヴァネッサの誘導? いや違う。時が満ちた、それが真相だった。すべてはなるべくしてなったこと。アルドーやアルドブランディがいなかったとしても、別の彼らが「拵え上げられた」だろう(評議員「アルドブランディ一派のすることを見ていると生物の自然発生説というものを信じたくなってくる。あの男が存在しなかったとしても、オルセンナがあの男を拵え上げてしまうだろう……君の場合も」)。人々の期待は成就し、国境周辺でファルゲスタンの軍隊が目撃されたとの情報が政庁に届いたところで小説は終わる。無力なオルセンナはおそらく戦いに敗北し、滅びるだろう。しかし小説が語り手アルドーの回想形式で書かれていることから考えて、彼は生き延び、歴史の生き証人としてオルセンナの宿命について報告することになるのだろう。


「グラックの作品は、特定の人間像や、それらの人物によってつくり出される社会的状況などへの関心から生み出されたものではない。十九世紀的な意味での個人の存立や自我の形成を追求する小説でもない。物語の主人公は、人間の手では制御することのできない「宿命」である」、「その「宿命」を個人のレヴェルから国家のレヴェルへと押しひろげ、個人にとっての死の代わりに国家にとっての戦争と敗亡を取り上げたのが『シルトの岸辺』である」、訳者はそう解説している。本作が書かれたのは1951年、東西冷戦の時代だった(もっともグラックにいわせれば、冷戦下の睨み合いという本作の設定は「作品が書かれた時代の精神的風土の反映にすぎない」ということになるようだが)。グラックは第二次世界大戦に動員されている。本作ののちに書かれる『森のバルコニー』では、より直接的に戦争体験が書かれるだろう。国境に配置されたものの戦闘はなく、退屈な警備のかたわら同僚たちと狩猟などをして過ごす穏やかな日々を、主人公はまるで休暇のように感じる、たしかに戦争は続いているはずなのに――。『シルトの岸辺』は架空の時代の架空の国家を舞台としているが、扱われているのは同じ、待機状態が長く続く「奇妙な戦争」の記憶である。

宿命とは何だろう。それは歴史か、それとも比喩か。管理人が読むかぎり、宿命とは人々が拵え上げる彼らの期待であるように思える。睨み合いを300年続けているシルトの現状について、マリノ大佐はアルドーに、ここでは慣性が過飽和の状態にあると説明していた。そのような停滞――ひいては緩やかな死――の状況にもはや耐えられなくなった人々は変化を望む。たとえその変化が、鼠や羊が海に飛び込むような自殺的なものであったとしても、死の実感を抱けないまま、現状から逃れることを待望するようになる。奇怪な噂を、自ら好んで広めていくマレンマの人たちの心理は、自傷行為に快感を覚える人のようにも見える。なぜ快感を覚えるのか。滅び、死の予感が倦怠のさなかにある人々に生の実感を与えてくれるからだ。同僚がアルドーに発した言葉を再び引こう。「君は自分をこわがらせるために海坊主をでっちあげている」。これも繰り返しになってしまうけれど、人々がそれを望んでいないのなら、不穏な噂はすぐにも立ち消えになっていたはずだ。人々がそれを蔓延させていったのは、それが彼らの隠された願望だったからだろう。ある期待は、それを口にすることで予感になる。予感しながら口にされたことは、口にした者の意志とは無関係に一人歩きをはじめる。発語の恐ろしさだ。自らが口にすること、他人の口から聞くこと、それらが積み重なり、やがて現実はそのほうへと動いていく。母数が増えるほどに加速しながら。そしてとうとう事態が出来したあとになって、あれは避けようがなかった、などと振り返る(本作がアルドーの回想であることの意味)。何のことはない、実際には、その事態を招いたのは彼ら自身だったのだが、起きたあとでは定められた宿命だったようにしか見えない。「みんなが共犯者」と述べたヴァネッサはこうも言っている。
「一度でも何かが本当に生まれてきてしまえば、それはもう《たまたま起きた》ことではなくなるんだわ。その瞬間から、もう他の見方はできなくなってしまうの。それが存在しなかったかも知れないなどということは、問題にならなくなってしまうの。それでいいのよ」

まさしく歴史は人によって「作られる」。作られたあとは作った人のことは忘れられて。



はじめは緩やかに、予感と謎を敷いて、次第に加速しながら滅びに向かっていく展開が素晴らしく、続けて二度読んで飽きなかった(『アルゴールの城にて』はそういう気持になれない)。300年間の冷戦という硬直化したような現実が、アルドーの赴任後の短期間で呆気なく崩れ去るのが可笑しくもあり、怖ろしくもある。
4003751299シルトの岸辺 (岩波文庫)
ジュリアン・グラック 安藤 元雄
岩波書店 2014-02-15

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いつとは知れぬ敵襲を夢想しながら、ひたすらに続く待機の物語というと、ブッツァーティのこの小説を連想する。『タタール人の砂漠』と『シルトの岸辺』は書かれた時期も近い。しかし、筋だけ聞くと似ているように思えるものの、実際に読んでみると受ける印象は二作でだいぶ異なる。『砂漠』が寓意的に人生を表現する(年を経た主人公が、若い士官に砦への道を尋ねられる場面は典型的な寓話の手法だ)のに対して、『岸辺』は歴史(宿命)の成立する過程を(比喩を多用した暗示的な文章で)表現している。いわば個人と歴史の違い。前者の舞台が人の力ではどうにもならない状況なら、後者のは、一見前者と同じように見えて実際には脆い。
4003271912タタール人の砂漠 (岩波文庫)
ブッツァーティ 脇 功
岩波書店 2013-04-17

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