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zoom RSS 『七人の使者・神を見た犬 他十三篇』 ブッツァーティ

<<   作成日時 : 2015/03/06 00:00   >>

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何処から、何処へ。

作者による『タタール人の砂漠』は、人の一生の寓話だった。自分の人生にはきっと何か特別なことが起きるだろう、そう未来に期待していた若者にはしかし彼が望むような出来事は起きず、待機のうちに時間は徒に過ぎていき、ようやく願い叶ったときには彼は老いて死の床に就いている。時の流れの残酷さ。期待や希望という、人が生きるうえで支えと頼る杖でありながら、同時に嬲りもする鞭。翻弄され、裏切られても、遂に人は期待や希望なしに生きてはいけないだろう。人の哀しい性と、不条理な世界を前にした人間の無力感、徒労感を描いて、『砂漠』は美しい寓話として成立している。

本書冒頭に収録の「七人の使者」は、『砂漠』と同じく人生を主題とする。ある王国の王子は、30歳のとき、領土踏査の目的で旅に出る。すでに旅は8年以上続いているが、いまだ国境にたどり着けず、出会う人々はみな彼と同じ言語を話し、王国の民だという。すでにかなりの距離を進んだはずだが、王子の踏査行は終わる気配もない。出立の際に地理学者から渡された羅針儀が狂っていて自分たちは同じ場所をどうどう巡りしているのではないか。それとも国境などは存在せず、王国はどこまでも無限に広がっているのだろうか。ときに疑念に駆られながらも旅は続いていく。王子は伝令役として七人を連れていた。彼らを順番に王国への使者として出発させ、旅の状況を祖国に伝えるとともに祖国からの知らせを持ってこさせた。旅のはじめ頃は、使者たちは数日を空ける程度ですぐ隊に戻ってきた。しかし旅が続けば王国との距離は開く一方であり、当然ながら使者が駆ける距離も長くなり、時間もかかるようになる。彼らはすでに古くなった王子の手紙を携えて王国に到着し、すでに古くなった祖国からの手紙を携えて隊に再び合流する。
都から遠ざかるにつれ、使者たちの往復の日数は次第にのびていった。五十日も旅を続けると、一人の使者が帰着して、次の使者がもどってくるまでの間隔は目立って長くなりはじめた。初めは五日おきに一人夜営地に帰りついていたが、その間隔が二十五日おきになり、そうして都からの声は次第にかぼそいものになっていった。私は都からの便りを受け取らずに何週間も過ごすようになった。
六か月たったころには(中略)使者たちがもどってくる間隔はなんと四か月にもなっていた。彼らはもう遠い以前のものとなった消息を持ち帰ってきた。封書はよれよれになり、時にはそれを運んできた使者たちが野宿して過ごした時の夜露がしみついてさえいた。

8年以上の旅を続けてきた結果、ある使者は隊に復帰するのに7年もかかるようになった。そうして、王子は、合流したこの使者を再び王国へ出発させることはできないのだと悟る。彼の計算によれば、同じ使者を再び使いに出してしまえば彼と再会できるのは34年後、そのとき王子は72歳になっている。おそらく生きてはいまい。まだ国境は見えない。国境などはじめからなかったのではないか、そんな疑念が日ごと増していく。それでも前進するほかない。故郷ではいまや彼の父だった王は亡くなり、兄が後を継いでおり、彼はすでに死んだものとされているという。いま王子が抱くのは、旅の目的を果たせるかという焦燥だ。目指す未知の土地は存在しないかもしれない。不安と疑念は常に去らないけれど、それでも朝になれば、もしかしたら今日こそ叶うかもしれないと希望を抱いて進んでいく。

あるかないか定かならぬ目的のために消耗していく日々。七人の使者とは一週間――すなわち時間の寓意ととれる。彼らが使者としての任務を果たせなくなるという事態が、王子にとってどういう意味をもつのかはおのずと明らかだろう。『タタール人の砂漠』と同じ結末がおそらく待っている。出発するとき、王子は30歳――人生の後半がはじまる年齢――を過ぎていた(「人生の道半ば」というダンテの一節が連想される)。死が必ず訪れるからには、どれほど綺麗ごとを並べてみても生は結局は徒労に終わる。それでも今日を生きているかぎり、意識的にか無意識的にかは問わず、人は誰も希望を抱いている。それを手放すのは死ぬときだけ。王子は人間が宿命づけられた悲哀を体現している。

目的地にたどりつけない。望みを果たせない。だからといって向かうのを止すわけにいかない。「七人の使者」と同じように、そういう人間の姿を描いた他の短篇として「山崩れ」「道路開通式」「急行列車」がある。「山崩れ」は、新聞記者が、上司から、ある村を襲った大規模な山崩れの取材に行けといわれて現地へ向かうものの、到着すれば村も人々も平穏無事、怪訝に思いながら村人たちに山崩れがなかったかと聞いて回れば、子供は数百年前に起きた山崩れの跡(観光名所)のことだと思い、別の農民は、自身の畑を潰した土砂崩れのことだと思う。記者が求めている山崩れではない、それでも山崩れであることに違いなく、ただ彼らと記者に認識の齟齬があるだけのこと。「めいめいがおのれの山崩れを持っているのだ、ある者にとっては畑の上に土砂が崩れ落ちてきたり、ある者にとってはせっかくの堆肥土が流れてしまったり、またある者にとっては大昔の砂礫の崩落だったりするのだ。めいめいがおのれの取るに足らない山崩れを持っている」。上司の信頼に応えられれば出世できたかもしれないのに、肝心の山崩れがないのではどうにもならない。徒労を感じ、諦めて帰路につこうとしたとき、記者は凄まじい地鳴りの音を聞く。それは現実だったのか、それとも彼の願望から生じた幻聴だったのか。

「道路開通式」では、首都と町を結ぶ新しい道路が開通した祝いの式典に参加するべく出発した一行が、いつまで経っても目的地である町にたどり着けない。通る道には石がごろごろ転がっており、人間の手が加えられた形跡がない。工事なんてしていないのではないか。ちょうど近くに一人の老人がいたので町までの距離と道路工事について尋ねると、道路工事については何も知らないし、町までは小道一つない険しい山を越えていかねばならない、ここから二時間はかかるだろうという。不可解にも、たとえ工事が中途で打ち切られたのだとしても町では人々が自分たちの到着を待っている、だから式典には絶対に参加しなくてはならない。容赦ない陽射しの下、一行は道なき道を進んでいく。途中みすぼらしい農家にたどり着き、そこで休ませてもらうと、家の主は町まではまだ四時間はかかるだろうという。悪路のために馬車から降り、徒歩でなおも前進を続ける。あたりは荒涼とし、進めば進むほど目的地が遠ざかっていくような気にすらなる。いつまで経っても到着はおろか、町の景色すら見えない。やがて夕暮れが近づいたころ、一人の老人とすれ違う。町はまだ遠いのか、そう尋ねると、老人は、そんな町は知らないという。それから思い出して、そういえば昔父親が、地平線の向こうに大きな町があるとかなんとか言っていたようだが、そんな話を信じたことはなかったと付け加える。

「急行列車」では「とてつもない目的地」を目指す一人の男が、唯一そこに向かう列車に乗る。最初の駅には予定どおりの時間に到着した。そこで待ち合わせた相手と商談をするも、列車の発車時間が迫ったためまとめられないまま旅を続ける。次の駅には予定より三十分遅れて到着する。そこで待っている筈だった恋人の姿はすでになかった。三番目の駅に到着したのは予定より三、四か月遅れで、そこで待っていると思われた人々の姿はすでになかった。そして四番目の駅に到着したのは予定から四年も遅れてだった。そのあいだずっと、男の母親は駅で待ち続けていた。しかし列車はすぐに出る。こんなに待ったのに一日も泊まらずにすぐ行ってしまうなんて。母親の悲痛な声に、男は旅を止めようと決意しかけるものの、母親の「こんな機会は二度とない」という言葉に励まされて再び列車に飛び乗る。
何年もの遅れが積み重なったまま、こうしてふたたび旅についた。だがどこへ?(略)
どこへ? 終着駅まではどのくらい遠いのか? 一体そこへ着けるものだろうか? 愛する人々や土地からこんなに急いで逃げて行くのに値するのだろうか?(中略)確かに、もう引き返すことは出来はしないのだ。

仕事も恋も友情も母親(故郷)もすべて捨てて続ける旅。「もしかすると明日は到着できるかも知れない」、かすかな希望だけが旅を続ける彼を支える。「急行列車」は人生=旅という主題を明らかに示している。明解(謎の不在)であるため、「山崩れ」「道路開通式」と並べると少し物足りない。「山崩れ」や「道路開通式」では、目的にたどり着けず、不可解な状況を理解することも叶わず、当事者は自分なりに状況を解釈するか、途方に暮れることしかできない、この世のありようそのままに(「山崩れ」には「藪の中」のような面白さもある)。

何が起きてもおかしくはないが、その説明を誰かに求めても空しい。理解できない状況に突如として放り出されるというシチュエーションは、生の不条理性を表す。『神を見た犬』(光文社古典新訳文庫)から、訳者関口英子さんの解説を引くと、
高度に詩的で寓意に満ちた幻想世界のなかで、生の不条理を描いたその作風により、ブッツァーティには「イタリアのカフカ」のレッテルがついてまわるようになるが、本人はあまりこれを好ましく思っていなかったようだ。「カフカはもはやわたしが一生背負わねばならない十字架だと考えている」と、のちに彼は述べている。

「七人の使者」とは少し趣が異なるけれども、決して到着しない使者という題材でカフカも掌編を書いているし、有名な「掟の門前」を人生の寓話ととることも可能だろう。カフカは1883年にプラハで生まれ、ブッツァーティは1906年に北イタリアで生まれている。ブッツァーティには、カフカのような空白や欠如がないので物語として読みやすく、ために親しみやすい。しかし管理人はカフカとブッツァーティを(「レッテル」的にどうかは知らないが)似ているとは思わない。カフカの文体――池内紀さんの文体というべきか――にある暗示はブッツァーティにはほとんどない(叙述は常に具体的な描写に終始していながら、別の意味を含ませているようなカフカのあの書法)。だから後者のほうが明快で親切に感じる。カフカなら「神」がどうこうというような題材を直截に扱ったりはしないだろう。

「合理的な説明や慈悲を求めても無駄なのである。この世のあり方はどうにもならない。仮借なく、不条理なのだ」(ジョージ・スタイナー『悲劇の死』)。この不条理をよく表現した寓話として「七階」(またしても「七」)を挙げたい。軽症のある病人が、専門の治療を受けるため権威ある有名な病院を訪れる。この病院は七階建てで、軽症患者ほど上階に収容され、下に行くにつれ重症患者となり、一階には瀕死の患者が収容されるという奇妙なシステムを採用していた。いわば死のカースト。七階の病室から一階の病室を観察すると、大半の部屋にブラインドが下りている。患者が死ぬと部屋のブラインドが下ろされるんですよ、同室の患者がそう教える。そう聞いて改めて一階を眺めると、死の恐怖が彼を捉え竦ませた。しかしここは七階だ。自分は死から遠いところにいる、そう思って彼は安堵する。しかし十日ほど経ったころ、一時的な措置として六階に移ってほしいと病院側から頼まれる。新たに入院する人との兼ね合いの問題であり、むろんこれは仮の移動に過ぎない。すぐに七階に戻しますから。そう頼まれて断るのも大人げないと彼は承諾する(カーストの上位にいる者の余裕もあっただろう)。すると病院の診断基準が変わり、今度は五階へ移動してくれと言われる。話が違う、自分は七階にいるべき患者だと言ったじゃないか、そう憤る彼を病院側はこう言ってなだめる。あなたの病状に関しては医師間で意見の相違がある、そのことが悪く作用して若干「点をからく」しすぎたかもしれない。しかし大事なのは病室が何階かというより病気そのものの治療であり、五階には上階よりも腕のいい医者がいる、治すためには具合がいいと思う。興奮して出た熱のせいもあって疲れた彼は、もはや逆らわず移動を受け入れる。五階に移ると、周囲の医者や看護婦は、彼が五階でいちばん軽い患者だと請け合ってくれて気分がいい。「要するにその階の範囲内ではいちばん恵まれていると、大いにそう考えて差しつかえなかったのである」。それでもかつて七階にいたときのように窓辺に立って一階の様子を眺める勇気は出なかった。まだ遠いとはいえ、以前より一階が近づいていることに不安を覚えたからだ。数日すると身体に湿疹が出た。それを治療できる設備は四階に行かないとないという。冗談じゃない、自分は本来七階にいるべき患者なのに四階に移動などできるわけがない、そう逆らうものの湿疹はさらに悪化し、仕方なく彼は四階に移る。四階のほかの患者たちは殆どベッドから離れられない有様で、治療室まで自分の足で歩いていける彼は自分と他の患者たちを比較して優っていることに満足を覚える。それでも病気は停滞しており、快方に向かわないのに苛立って彼は医者に相談する。どうすれば早くよくなるでしょうか。医者は怒らないように、と前置きしたうえで、もし自分があなたの立場なら、三階に移してもらうだろうと言う。三階のほうが医者の腕もよく設備も整っており、早い段階でよくなれば再び上の階へ戻れ、しかも上の階に戻ればもはや二度と下りてこなくて済むのだから。渋々三階に移ると、近々病院は休暇で閉まってしまい、比較的患者数の少ない三階と二階をひとつにまとめて二階に移すことになっている、と知らされる。彼は驚くが、とはいえ休暇のあいだ辛抱すればいいだけのこと、それが終われば再び三階に戻ってよい治療を受け、早く元気になって、本来いるべき七階に戻れる。そう希望していた彼にとって、休暇明けに受けた仕打ちはまったく予想外のものだった。病院スタッフは彼を一階へ移動させるという。そういう手続きになっている。それを聞いて彼は凄まじい怒りを爆発させる。騒ぎを聞いて一人の医者が病室に飛び込んでくると事情を説明する。あなたを一階へ移動させるよう命じた医者はあいにく休暇を取っておりいまは留守にしている。しかしきっと何か手違いがあったのだろう。戻って来次第事情を伝えるから、とりあえずは指示に従ってほしい。……こうして彼は今や一階にいる。本来ならば七階、悪く見ても六階にいるべき彼なのに。

「七階」から読み取れるのは、死の恐怖と生の不条理性(それは悪辣なユーモアのようにも見える)だろう。実際に患者の病状がどの程度のものだったのかはよくわからない。入院してから病状が悪化し、一階にいるべき患者となってしまったのか、「手違い」含めその時々の状況の作用によって一階の患者にさせられてしまったのか。真相は読者各人の判断に委ねられる。七階から一階へという死のカースト制は、それにしても死へのカウントダウンのようで居心地が悪い。主人公がそうしたカーストのなかで、他人と自分を比較してまだましだと自分を慰める心理描写は、ヒエラルキーに影響される人間心理のモデルケースとして興味深く、また身につまされる。読者の多くが、胸に手を当ててみれば他人事ではないように気持になるのではないだろうか。

人生の寓話。光文社古典新訳文庫の『神を見た犬』には、やはり同じ趣の「コロンブレ」が収録されている。船長の父親を持つ少年の夢は船乗りになることだった。十二歳のとき父親に連れられて船に乗る。船尾に立って海を眺めていると、一定の距離を保って黒いものが後をつけてくるのに気づいた。それが何なのかわからないのに、「言葉では形容できない何か」が強烈に彼を惹きつけ、魅入られたようにその黒いものを凝視していると、呼んでも返事がないのを訝しく思った父親が少年のところへやって来て、何をしているのかと問う。少年は父親に事情を説明する。途端に父親の顔から血の気が引いていく。あれはコロンブレという怖ろしい鮫の怪物で、世界中の船乗りたちから恐れられている。奴はいったん餌食を決めると、相手を飲み込むまで執拗につけ狙う、たとえ何年かかろうと決して諦めない。残念だが、お前は奴の餌食として選ばれてしまったようだ。父親は船を港に戻すと息子を下ろし、彼に、二度と船に乗ってはいけない、海の仕事をしてはいけないと告げる。その後少年は勉強に励み、海辺の故郷を離れ、町で就職した。しかしいつになっても、海に行けば、遠くで浮き沈みする黒い影が必ず見えるのだった。やがて父親が亡くなる。彼のほうは仕事は順調、友人や恋人にも恵まれる。それでも、怪物の影に脅かされているという意識は一瞬たりとも頭から追い払えず、彼の心を暗くした。とうとうある日、彼はもう逃げるのはよして運命と戦おうと決意して、仕事を辞めて故郷に帰り、父親の仕事を継ぐことにしたと母親に打ち明ける。怪物の話を聞かされていなかった母親は息子の決心を手放しで喜ぶ。それまでは、なぜ急に息子が海から離れてしまったのか理解できずにいたのだ。海に出れば、彼の船のあとを、来る日も来る日も、朝も昼も夜も、凪でも雨でも嵐でも、黒い影はつけ回した、どんなに情に厚い友でもこれほどまではというくらい忠実に。しかし彼はくじけなかった。恐れなかった。船乗りとして経験を積み、新しい船を買って海に出続ける。どんなときでも怯まず、野心的な航海を続け、たくさんの儲けを得て成功しても死の強迫観念は去らない。考えなくて済むよう、航海を終えればまたすぐ次の航海に出ていく。そうしているうちに年月はあっという間に過ぎ去った。周囲の人々は不思議そうに彼を見ていた。すっかり年をとり、暮らしていくのに十分な蓄えもあるのに、なぜあの人はいまだに辛い海の仕事を続けているのだろうと。彼もまた合点がいかなかった。襲おうと思えばそうできる機会はいくらでもあったのに、なぜ怪物は今日までの年月、彼を見逃してきたのだろう。自分はすっかり老人になってしまったが、奴もまた年をとり、くたびれているだろう。思えば自分の人生は、十二歳のときから今日まで、ただ奴から逃れること、死を振り払うことだけに費やされてきたようだ。今こそ決着をつけよう。たとえ絶対の死の宣告だったとしても、絶命する最後の瞬間まで男らしく戦ってやる。意を決して自ら怪物のほうへボートを向ける。そして武器を振りかざすと、怪物が大きな声を上げ、言った。お前に大事な用があったのに、いつも逃げるからそれを果たせなかった。どういうことかと彼が聞き返すと、怪物は答える。俺はお前が誤解していたようにお前を丸呑みにするのが目的で追いかけていたんじゃない、海の王からの贈り物を渡すのが目的だった。怪物が差し出したのは、青白く輝く大きな真珠だった。彼は一目見ただけで、それが何か分かった。それを持つ者には、幸運、名声、愛、心の平穏、それらすべてを与えると古くから伝えられていた「海の真珠」だった。だが、今になってそれを差し出されたところで何になろう。彼は老い、自身の死が近いことを予感しているというのに。「さらばだ、哀れな男よ」、怪物は海の底へと姿を消し、二度と浮上しない。その二ヶ月後、ボートに座ったままで白骨化している彼の亡骸が発見される。その手には「小さな丸い石が、大事そうに握りしめられていた」。

誤解から始まった徒労とするのが、この短篇のストレートな解釈になるか。しかし彼の人生は決して特別ではなかった。死から逃れることに一生を費やしたという。それは誰にも共通な人生のありようであり、むしろ人生の曙にコロンブレという「死」の象徴を目撃したことによって、彼は人生や命のかけがえのなさに気づくことができた。コロンブレが最後に「海の真珠」を差し出したというのは作者のサービスというか、落ちをつけるための方便であるように管理人には思える(「神を見た犬」にも見られる黒いユーモア精神)。陳腐な解釈になってしまうけれども、「死」を常に意識し続けるよう仕組まれたことこそ、彼にとって最上のギフトであったとは考えられないか。少年時に「海の真珠」を得てその後安楽な人生を生きるのと、死の影に脅えながらもそれに立ち向かっていく人生を生きるのと、どちらが本当に幸福であるのか、容易には判断しかねる(船乗りという職業も象徴的だ)。

本書の訳者である脇功さんは、『タタール人の砂漠』は「時の遁走」というブッツァーティ文学の方向を決定づけた作品として、彼の作品中もっとも重要と述べている。その『砂漠』が出版されたのはイタリアが第二次世界大戦に参加するのと同時期の1940年であり、「世界各地で砲弾が炸裂する当時の状況の中では、戦闘場面もなければ、一発の砲声も響かないこの「砦」の物語」は、ごく一部からの評価を得ただけで広く読まれることなく終わったという。1942年に出版される短篇集『七人の使者』も同様に顧みられること少なかった。大学卒業後はミラノ市内の新聞社に勤務し、そのかたわら執筆活動を行っていたブッツァーティは、従軍記者として戦争の様子をつぶさに観察しているが、それを直接的に創作に活かすことはしなかった。なぜか。それが彼が目指す文学の手法ではないからだ。戦後早々の1945年に『砂漠』が再刊されても読者や批評家たちは見向きもしなかった。人々の多くは戦時中の現実を直視した文学、戦後の新しい社会を実現するための<社会参加(アンガージュマン)>の呼びかけに応じるような文学――いわゆるネオ・リアリズム文学――を求めていた。彼らはブッツァーティの幻想的な作品群を、「現実から遊離した文学、イデオロギー的なものを拒否した、<現実不参加>の文学と見なして、批判した」。彼が評価されるようになるには、ネオ・リアリズム文学が行き詰まり、翻訳紹介されたイギリス、フランス、ドイツでの高い評価が本国イタリアに波及してくる1950年代末から60年代を待たねばならない。60年代以降、ブッツァーティ作品の翻訳は26か国にも及んでいるという。「『タタール人の砂漠』や幻想的な作風の彼の多くの短編小説に描かれている象徴的、寓意的な人生は、国が異なり、時代や社会状況が変わっても、あらゆる人間の人生へと普遍化されうるのであり、それが広く世界に受け入れられた所以であろう(訳者解説)」。寓意的に示されるからこそ、却って読者は小説中で起きる出来事をわがことのように受け取り、それは特定の地域や時代に限定されない。何が<現実不参加>の文学か、と今日の、外国の読者の一人として思う。この記事では紹介しなかったけれども、「なにかが起こった」や「竜退治」といった短篇もまた、強い喚起力をもっている。とりわけ後者の悲哀と苦い余韻は、本書中で際立っている。





4003271920七人の使者・神を見た犬 他十三篇 (岩波文庫)
ブッツァーティ 脇 功
岩波書店 2013-05-17

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「コロンブレ」はたしか「K」というタイトルで、堀江敏幸さんの『河岸忘日抄』に出てくる。怪物の名前は曖昧なほうが不気味な凄みが増しているかもしれない。
433475127X神を見た犬 (光文社古典新訳文庫)
ディーノ ブッツァーティ 関口 英子
光文社 2007-04-12

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人生の寓話というと、ホーソーンの「デーヴィッド・スワン」もいい。過去の記事から引用すると、「若者が草原の木陰で眠っていると富裕な老夫婦が彼を見つけて起こそうとするが去り、次に美しい娘が彼を見つけて起こそうとするが去り、最後に悪漢二人が彼を殺そうとするが去り、こうして「富」と「愛」と「死」がすぐそばまで迫ったのに当の本人は眠り続け、何も知らずに目を覚ますと通りがかった馬車に乗って出かけていく――しかも彼が眠っていたのはたった一時間だった――という筋で、人生の不可思議を、ままならないことを示して哀切を誘う」。有名な中国の故事「邯鄲の夢」とよく似た味わいをもっている。
4003230434ホーソーン短篇小説集 (岩波文庫)
ホーソーン 坂下 昇
岩波書店 1993-07-16

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