65) 『死の島』 福永武彦

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なぜか現代では忘れられた作家となっている福永武彦の最後の長編、「死の島」にいよいよ上陸する。カロンの艀にゆらゆらと揺られながら。
福永文学の頂点ともいわれる本書。原爆体験を経た時代の戦争と平和、若い芸術家の成長、そして福永が得意とする三角関係の恋愛を、シベリウスの「レミンカイネン組曲」の方法に倣って書き上げた、これは日本文学大賞受賞作。(今回の感想は長いです)

おおまかなストーリーは以下のとおり。
時代は昭和29年。舞台は(主に)東京。
小説家志望の編集者、相馬鼎(そうまかなえ)は、展覧会場で見て衝撃を受けた「島」という絵の作者、萌木素子を訪ねる。彼女は被爆者で、相見綾子という年下の女性と二人で暮らしていた。二人のもとを訪れていくうちに、相馬は彼女たちに対して愛情を覚えるのだが、自分でもどちらを愛しているのか判然としない。(本人は、それぞれを別々の仕方で愛していると思い込んでいる)宙ぶらりんの気持のまま日を送っていた彼は冬のある朝、二人が広島で心中したという報せを受け、急行列車で広島に向かう。彼はその列車の中で、過去の自分と二人の女たちを回想する…。

なかなか入り組んだ構造になっているのでまずそのことから。
福永の小説は音楽が印象的な役割を果たすことが多い。『草の花』ではショパンのピアノ協奏曲1番、『海市』ではモーツァルトのクラリネット五重奏曲、未読だが『風土』や『告別』もそうであるらしい。
では『死の島』はというとシベリウスである。「レミンカイネン組曲」中の、とくに「レミンカイネンの帰郷」の構成を小説のそれに活かした、それが本作である。
相馬は「レミンカイネンの帰郷」の構成についてこんなふうに語る。
「主題は小さな破片や断片から成っていて、一群の楽器から他の一群の楽器へとボールのようにトスされて、それが作品の進行につれて次第に有機的な全体へと溶接される」。この方法を自分の書く小説にも活かせないだろうか、と。

本作は六つの断片から成っている。
1.相馬鼎の視点から見た部分(これは更に相馬の現在と、回想との二つに分けられる)
2.萌木素子の内面(これは素子の心理描写に、被爆当時の回想が挿入される)
3.ヒモ暮らしをしている「或る男」の内面(これは「意識の流れ」的に書かれている)
4~6.相馬が書いた三つの小説の断片。「トゥオネラの白鳥」「恋人たちの冬」「カロンの艀」
以上の六つ。
実際に小説中で流れる時間は、相馬が夢を見て目覚めた朝から、翌朝広島の病院に到着するまでのわずか24時間に過ぎない。その合間合間に他の断片が挿入され、配列され、最後には有機的に結ばれ、まさに「レミンカイネンの帰郷」的になっているわけ。

断片を組み合わせていくという手法は『海市』でもそうだったが今回はもっと複雑になっている。一方に時計回りに回る時間があり、もう一方には時間軸を無視した、想起にまかせた時間がある。さらに、他人に対しては真情を吐かない素子の内面の動きと、或る男の奇妙な独白、そして相馬の創作部分――ああ、ややこしい!
うまく書き分けられているのでそれほど混乱することはなかったが、たまに「この先を知りたい」と思ったときその断章が中断されて、べつの断章が挿入されたりすると苛々した。

この小説を読んでいると、人間は「現在」という時間に属していながら、想起によって同時に様々な時間を生きているのだということが意識される。過去も未来も結局は現在の中に収束しているのであり、だから厳密には過去も未来もなくて、つねに「現在」という時間しか存在しない。そのことを書いた作家といえばもちろんプルースト。『失われた時を求めて』の最後の文章をみてみましょう。
空間のなかで人間にわりあてられた場所はごく狭いものだが、人間はまた歳月のなかにはまりこんだ巨人族のようなもので、同時にさまざまな時期にふれており、彼らの生きたそれらの時期は互いにかけ離れていて、そのあいだに多くの日々が入りこんでいるのだから、人間の占める場所は逆にどこまでも際限なく伸びているのだ――「時」のなかに。

『死の島』における時間も同じように捉えられている。

本作は原爆体験の側面からクローズアップされることが多いようだが、わたしはあまり原爆を意識しなかった。もちろん、ヒロシマは重要なモティーフとなっており、そもそもタイトルの「シノシマ」は「ヒロシマ」とかけてつけられたもの。ただ、わたしの読みが浅いのか、被爆者である素子にとりついているのは原爆体験というよりもっと根深いもの、実存的不安とよばれるものではないかという気がしたのだが、しかし実存的不安といったっていってるわたしにもよくわからないのだから、綾子の言葉を借りるなら「何もかも、駄目な時代の中で生きている」人間の不安やら絶望やら閉塞感、無力感…そういったものではなかったろうか。それも原爆体験が引き金になって引き起こされたものなのだが。
だからこれは原爆の悲劇を扱った小説としてよりも、核の時代に生きねばならぬ現代人を扱った小説として読むほうが理解しやすいように思う。「ヒロシマ・ナガサキ後」も生きていかねばならぬ人間を扱った小説として。まあ読み方なんて人それぞれだから、そんなことどうでもよいのですが。

相馬と二人の女の三角関係という恋愛小説としての面も見逃せない。
この相馬は本当に煮え切らなくて…どっちかを早く選べ! と叱ってやりたくなることしばしば。素子も綾子も甲乙つけがたく魅力的だけれど、わたしは綾子を応援したい。福永の小説には魅力的な女性キャラがいつも登場する。「草の花」の千枝子、「忘却の河」の香代子、「夜の時間」の冴子、「海市」の安見子。みんな魅力的。その中でも本作の綾子は個人的にはトップクラス。大抵の男は彼女みたいな女性が現実にいたら…と思うでしょう、たぶん。居候でお金がないから相馬にクリスマスプレゼントを買ってあげられないといい、「あたしは何も上げるものがないの。あたしは、……あたしのキスでよかったら。」なんてことを顔を赤くしながらいってくれるんですよ?
あああ。それなのに相馬、なぜだ。なぜ拒む。そのお前の曖昧な態度がやがて悲劇を……ムニャムニャ。

これはしかし再読を要する小説。「300日前」から現在までを同時に内包しているので、時系列に読んでみたらまた違う感想をもつかもしれない。

死が照らし出してこそ、己たちは生の実態を知ることが出来るのだろう。窓の外にある空が虚無にすぎなくても、その虚無に照らされた自分の心が他人の虚無を思い出し映し出すことの出来る鏡であるならば、初めて己たちは虚無と虚無とをつなぐ関係を、結びつきを、連帯を、そして愛を、持つことが出来るだろう。

未来の死から現在の生を照射することで見えてくるものがあるだろう。

それにしても『死の島』は暗かった。たしかに美しい作品だけれどそれは「陰鬱な美しさ」であって、読み終えたあと哀しみや寂しさを感じざるを得ないようなもの。福永はこのあとどこへ行くつもりだったのだろう。61歳での死は早すぎる。そして、どうしてこんな超弩級レベルの小説が長らく絶版なのか。それがどうしても腑に落ちない。とくに「死の島」は古本屋でもあまり見かけない気がするが、これは所有者たちが大事にもっているからなのだろう。

ところで福永武彦の息子さんは作家の池澤夏樹さんですが、池澤さんの娘さんである池澤春菜さんのことを猫のゆりかごさんのブログ「揺籃堂へようこそ」を拝読して初めて知りました。
福永にこんな美人の孫がいたのか…。

→池澤春菜公式サイト「.。・:*:・゚`HA*LUNApark、。・:*:・゚`
(新潮文庫)

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この記事へのコメント

2006年11月07日 20:55
福永武彦さんの本を入手するのって、なかなか難しいと思うんですが、さらに読みこなして凄いですね。店頭に並んでいる本より、ずっと感動的だけど、多くの人にも知ってもらいたいし、このような紹介文が読めて良かったです。
2006年11月07日 21:23
>ふらっとさん

はじめまして。コメントありがとうございます。
勿体ないお言葉で恐縮です(^^;)
かなり主観的というか好き勝手に書いているのですが、少しでもご参考になれば嬉しいです。とても。
(でも、他のひとが読む楽しみを奪ってはいないかという葛藤も少しだけあったりします)

>店頭に並んでいる本より、ずっと感動的だけど

そうですよね。今の女子高校生とかにも受けそうな作家だと思うのですが。
ひよどり
2006年11月11日 00:58
 福永武彦という人も確か精神分析学者ですよね。私は‘ナルシシズムと日本人'という本しか知りませんが、そのころは自分を愛することって大切だなあとおもっていました。
2007年07月24日 22:52
はじめまして、ntmymさん経由で来ました。piaaと申します。
いくつか当方ブログと共通の本の記事があり、
興味深く読ませていただきましたが、
この「死の島」は私も大好きな作品なので、つい嬉しくなりました。
複雑ながら論理的な構成、独特の陰鬱な雰囲気、そして驚愕のマルチエンディング…でありながらepiさんのおっしゃるとおりの魅力的なヒロインたち。
本当にすごい作品だと思います。

>どうしてこんな超弩級レベルの小説が長らく絶版なのか。

全く同感です。あまりにも冷遇されている作品だと思います。ぜひ復刊していただいて、一人でも多くの人に読んでもらいたいと切に思います。
2007年07月25日 01:25
>piaaさま

はじめまして。コメントありがとうございます。
『死の島』は見事と思います。長い話ですが読むのを止められません。このときはたしか三日で読みました。読み終えてしばし呆然としたものです。「内部 M」の迫力といったら!

『死の島』は現在、「復刊ドットコム」で復刊交渉中だそうです。ぜひ実現してほしいところですね。

「P&M Blog」拝読しました。わたしの好みと重なる部分があって嬉しいです。参考にさせていただきます(^^)
2008年05月14日 21:39
epiさん、こんにちは。いつも楽しく読ませていただいております。
こちらの記事を「死の島」読了後すぐに読ませて戴きました。
概略、とてもわかりやすいですね。そうそうそうだった、うんうん、という感じでした。同じものを読んでも人により興味を持つ点が違う、また、違う見方をすることができる幅広さ、それでもそれぞれに楽しむことができる本は、いいなと思います。また、その「違い」をこういう形で読むことができることもうれしく思います。(インターネットというツールはとてもありがたいです)

再読したときに印象が変わること、ありますね。自分が変化しているせいなのでしょうけれど。(特にこの本は「読者の想像力との共同作業によつて作品の世界が完成するといふ方針」の作品ですし。)
またしばらくして読むと、また違う感覚があるかもしれず、もしくは文庫と単行本でも読んでいる時に受ける影響はずいぶん変わります。もし再々読された際には感想を読ませてください(^^)
2008年05月16日 11:51
>きなりさん

少し古い記事にコメントをいただけるのはとても嬉しいです。ありがとうございます^^

きなりさんの記事を読ませていただきました。そう、物語自体はとくべつドラマチックというわけでもないですね。原爆の主題を抜けばただの三角関係のお話でした。どうしてかそのことに気付かなかった。しかし読ませます。福永は(当時の)西欧の小説を意識していて『海市』もそうですが表現形式に意識的な作家です。この小説がただ時系列に書かれていたらここまでの魅力はなかったかもしれません。終盤の白紙と三通りの結果は興味深いものがあります。

先だって広島出張のさいに上巻を持ってでかけました。一年半ぶりの再読で、思った以上にすらすら読め、そのわりに感動が薄かったのが意外でした。福永の書く女性や恋愛には青臭さというか紋切型というかそういうところがありますね。よくも悪くも。

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  • 福永武彦 死の島

    Excerpt:  初めて読んだとき、大変な衝撃を受けた作品。あれは高校生の時だったので今回約25年ぶりに読んだことになる。やはり同じような衝撃を受けた。レヴューを、ネタバレなしに書くのが非常に難しい作品であるが、.. Weblog: P&M Blog racked: 2007-07-24 22:36